無限架橋 / I 蜂窩の扉
10 シフティング
「われらの内には、祖先の愛した炎の残り火がいまなお宿っている。
――セントリファール、B-テレスタン
身をこがす炎を感じるのは、君自身に要因があるからだ。君は強く、闘うことができる……。
……なぜ、そうしないのだ?」
ペリー・ローダンとレジナルド・ブルを乗せた真紅の宇宙船は、ゆっくりとガローン人の星から遠ざかっていく。
惑星ガローンを離れることは、同時に無限への架け橋へといたる円蓋柱からも離れることであり、それはまた故郷銀河への帰還が遠のくことを意味した。
しかし、ピルツドームの監視者フォレモンが、なんらかの認識の相違からふたりに対する殺意を抱いているうちは、テラナーたちには他に方策がない。アンドロ守護者スズカーより受け取った座標に、フォレモンの委託者たるガローン人――トレゴンの第二使徒――ケ・リオトンが滞在していることを願うしかなかった。
セントリファール、A-オスタミュルが「魂買う船」と呼んだ、全長260メートルのロケット型宇宙船《キイズ》は、パラデアによって運営されていた。直立歩行する蛇に、カワウソの頭部と鉤爪のある触手をつけた生物……それが、パラデアという種族だった。
ローダンたちを出迎えた会計係はブーゲと名乗り、客室の空きが用意できるまで貨物室にとどまるよう依頼して去る。自分たちがこの船の就航ルートはおろか、乗船料すら知らないことに気づいたローダンが引き止める間もなかった。
元々はエンジニア畑出身のブリーが船殻を揺るがす駆動機関がインパルス・エンジンであることを察知し、パラデアの船が銀河系の標準でいえばかなりの老朽船と推測したとき――。
懐かしくも忌まわしい感覚がふたりの身体をつきぬけた。
一瞬のショック。
それから、すべての細胞と神経をひきさくような苦痛がおしよせてくる。
それは時空連続体の壁をつきやぶる、非物質化と再物質化の副次産物。
《キイズ》は遷移駆動の船だったのだ。
ようやくショックを克服したふたりを、デミンと名乗る客室係が訪れ、キャビンへと案内した。
目標の座標――銀河中枢部方向へ3万光年余――へは《キイズ》の航路は届かない。独自の宇宙船を調達しうる最も近い星系として、パラデアはセントリフ系を挙げた。セントリファールの主星、セントリファール・セントラがある恒星系だ。
だが、テラナーたちが異銀河から来たという主張を、デミンは一笑に付した。プランタグーの技術では、隣接する島宇宙までの深淵は越えがたい奈落なのだ。
ふたりが“魂買う船”の乗船料を知らないという事実に、パラデアはわずかに戸惑うが、それにも詳しい説明はせずに、ただ、こう付け加えた。
「乗船料はいらない。
ただ、艦内が夜の間、あなたがたはパラデアのものだ」
《キイズ》には、プランタグーのさまざまな種族が乗客として滞在していた。すでにガーロでも遭遇していたモックスゲルガーやクローグ……そして、A-ギデカイをリーダーとする一団のセントリファールたち。遷移フェイズのはざまに、ローダンたちはプランタグーの実情を知るべく、ホールにたむろする他の乗客たちと言葉をかわしてみた。
スズカーから貰い受けたトランスレーターのおかげで、意思の疎通はガーロにおいてよりもはるかに容易だった。ほとんどのものは、プランタグーの外から来たという異人の話を笑い飛ばした。ガローン人の姿を見たものは、少なくともここ数千年は皆無であり、「ガローン人を捜す」といえば「徒労」を意味するも同然だというのだ。
やがて、この銀河の異様なありさまが、テラナーにも理解できてくる。
プランタグーは平和だ――。数千年にわたって、戦争はおろか、殺人すら行われていない。あるのはただ、“不幸な事故”だけである。
ある種、この銀河の種族は、平和に条件づけされているといってよかった。
会話の中でくりかえし、畏敬の念をおびて口にされる概念が、その源。
プランタグーの平和を守るためにガローン人が行使するという〈シフティング〉――。
すでにガローンにおいて、ローダンはこの語を聞き知っていた。だが、セントリファール、A-オスタミュルの語る響きからは、とうていポジティヴなものは感じとれなかった。
《キイズ》の乗客たちにも、具体的な内容を知っているものは誰もいない。すべてははるか過去のできごとであり、ガローン人の姿を見たものがないのとおなじことだ。
だが、彼らは一様に怖れている。シフティングを怖れ、むしろ平和を選ぶのだ。
シフティング……変革。それは、プランタグーの種族すべての負ったトラウマであり、銀河すべてを縛るくびきであるかのようだった。
艦内時の夜の訪れを、パラデアが告げた。
光量をおさえられた照明の中を、乗客たちはそれぞれの部屋へと去っていった。
彼らの足取りは重く、ローダンに理由を訊ねられたあるモックスゲルガーは、
「眠ってみろ。危険はないさ。……眠れば、わかる」
――とだけ、答えた。
……眠っているはずだった。何かの気配に、目をさまされたのだ。
キャビンの戸口に、それは立っていた。
蛇のようなその存在は、ずるり、ずるりとテラナーの横たわる寝台へと近づいてくる。
かかげられた触手の先には、鋭い鉤爪が鈍い光を放っていた。
――やめろ、デミン! そう叫ぼうとして、ローダンは自分が身動きひとつできぬことを知った。
パラデアの鉤爪がスローモーションのように自分の顔面へとふりおろされてくるのを、彼はただ凝視していた……。
『艦内が夜の間、あなたがたはパラデアのものだ』
……夢。すべては夢。
ローダンは汗だくになって目をさました。
そして、夢のつづき。
パラデアは、そこにいた。むろん、鉤爪をテラナーに突きつけたりはしていない。デミンはただ、抗議をしにきたのだった――テラナーたちの夢が、パラデアを拒んだことに対して。
一種のテレパシーによって死と流血に満ちた凄惨な夢を見せられることが、魂買う船の乗船料なのだ。夢見ることを拒否できる存在は、パラデアの船の存在理由を覆しかねないという。
夢が中断したのは、おそらくローダンたちがはるか過去に受けた精神安定化処置によるもの。この事実を他の乗客たちに話さないかわりにローダンたちは、デミンの言う「魂買う船の存在理由」を後日、船長自身に説明させることを約束させた。
客室係はそそくさとテラナーたちのキャビンを去っていった。
眠れる魂、パラデアを拒否することを知らぬ魂は、《キイズ》にはまだ無数にいるのだ。
《キイズ》の旅はつづく。
睡眠ピリオドの終わりごとに、乗客たちは焦燥したありさまで食堂に集まり、悪夢の体験を語りあっていた。テラナーたちと、他の客とのかかわりを拒絶するかのようなA-ギデカイ率いるセントリファールたちとをのぞいて。
そんな、ただでさえ険悪な船内の空気に加速度を加えたのは、3つ目の寄港地、惑星シク・ショウクから乗り込んできた新たな乗客たちだった。
彼らもまたセントリファール。A-ケスタをリーダーとする16名の氏族は、特例として2メートルほどのコンテナを客室へと運びこんでおり、食堂に姿を見せる際にも常にその見張りに数名を残す念の入れようだった。
ローダンがデミンに訊ねてみたところ、パラデアたちもその巨大な荷物の中身は知らなかった。しかし、それが何であれ、「死と流血と苦痛に満ちた夢を見つづけている」というデミンの評を耳にしたテラナーは、異常に緊迫した雰囲気をまとうA-ギデカイの氏族の存在とからみあわせて、悪い予感を禁じえなかった。
2つのグループの目的地は、ともにセントリファール・セントラ。テラ時間にして、およそ1週間の航程である。
だが、ローダンの悪い予感は、それまで保たずに的中することになる。
プランタグーにはありえざる事態――殺人の形で。
最初に物音を聞きつけたのはローダンだった。
狭い宇宙船の内部では、船殻に反響する音から発生源をたどるのはむずかしい。だが、たどりついた場所で、ブルが床にこびりついた液体を発見する。
それはまだ湿っており……温かかった。
点々とつづく血痕をたどった先、貨物積降口へとつづくシャフトの底で、テラナーたちは1体の遺骸を発見する。それは、ずたずたに引き裂かれたセントリファールのもの。
乗員に警報を発しようとしたローダンを不意におしとどめたのは、A-ギデカイであった。
死体はその氏族に属するD-コカー。傷痕は複数のセントリファールによって襲撃されたものであることは明らかだった。だが、A-ギデカイはその惨状を“事故”と断じる。
プランタグーに殺人は起こらない。起こってはならないのだ。
だが、その言葉とは裏腹に、これから第二、第三の“事故”が起きるであろうことは、ローダンにとり想像に難くなかった。
そして、次の“事故”ではA-ケスタの氏族のひとりと、モックスゲルガー1名が生命を失って発見された。
ローダンは、この期におよんでも“殺人”であることを信じない乗客たちの様子に驚くほかなかった。テラナーからしてみれば、ふたつの事件がセントリファール氏族間の暗闘にあることは明白。だが、乗客たちはパラデアの“徴収”の過酷さに常軌を逸したすえの事故としか考えないのだ。
プランタグーの種族にとって、“平和”を維持することはそれほど重要なのか……?
乗客たちの不穏な空気に、さしもパラデアたちも“夢”を見せることを断念せざるをえない状況に追い込まれる。そんなおり、テラナーたちはデミンの案内で《キイズ》の乗務員エリアへと初めて足を踏みいれた。
クモの巣に似た網状構造のパラデアの“繭”の中で、ふたりは《キイズ》の船長と対面する。半ば網と融合した歳老いたパラデア、ロームは、魂買う船の存在理由を、パラデアという種族の苦悩を語る。
パラデアは、本来攻撃的な種族である。
野生の本能は、いまなお彼らの身のうちに根強く残っている。だが、現在のプランタグーでは、本能の命ずるままに生きることは許されない。
理由は明白。姿なき支配者ガローン人、そして、シフティングだ。
ガローン人によって平和の騒乱者とみなされ、シフティングを受けることだけは避けねばならなかった。
しかし、身中にひそめた闘争本能は、世代ごとにゆっくりとパラデアを蝕んでいく。集団ヒステリー、精神に異常をきたしたすえの自殺……。このままでは、パラデアは自らの本能に食い殺されてしまう。そして、生き延びる道を模索したすえ、ある賢者がたどりついた結論が“魂買う船”であった。
プランタグーでは一部の種族をのぞいて、宇宙旅行はけっして日常的なものではない。星間航路を無償で提供する代わりとして、パラデアは乗客たちの夢の中に、抑圧された闘争本能を満たす惨劇を創造し、魂の飢えを満たすのだ。
プランタグー北部に就航する魂買う船の乗員のほとんどは、魂を病んだパラデアである。そして、他者の悪夢によって癒されたものたちは故郷へもどり、入れ代わりに満たされぬ殺戮衝動をかかえたものが到着し……。
魂買う船は、すでにパラデアのライフ・サイクルの一環、いや、その根幹を支える要素となっている。パラデアという種族は、もはやそれなくしては生きていけないのだ。
ガーロでフォレモンに追われるふたりを救ったのは《キイズ》である。ローダンはそれを忘れてはいなかった。
テラナーたちの精神安定化処置について沈黙を守ることを約束するとともに、彼はセントリファールたちの間の仲介を申し出る。数千年の平和など夢でしかない島宇宙に生きるものとして、テラナーたちほどその役割に敵したものは、プランタグーに存在しないはずだった。
ローダンはA-ギデカイ、A-ケスタの両名に会い、パラデアの委託者として公式に和平の場の提供を伝えた。だが、セントリファール氏族長たちはどちらも“暴力”の行使を否定し、テラナーも方針を変更する他なかった。
パラデアたちがその〈ドリームサイフォン〉とも言うべき能力を使うには、夢の“提供者”のごく近くまで接近する必要があった。そのため《キイズ》の客室エリアには、網の目のように隠し通路が張りめぐらされている。
ローダンはそこに盗聴器を設置させる。キーワードは「死」「攻撃」「殺し」……といった、プランタグーではまず用いられない概念に調整された。
そして、結果はまたたくうちにあらわれた。
A-ギデカイがその氏族構成員に訓示をくだしていた。かれらの“待ちうけていた”者たちをひとり残らず生命に代えて抹殺すべし――。そして、
「カリフォルムをセントリファール・セントラへ着けてはならぬ!」
コンテナの置かれたA-ケスタのキャビンへとテラナーたちが駆けつけたときには、すでにほとんどすべてが終わったところだった。
A-ケスタたちは甚大な犠牲を払いながらも、コンテナを守りぬいたらしかった。A-ギデカイの氏族の最後のひとりが逃げ去るのをローダンたちは目撃する。
死屍累々たる部屋のありさまを見て、ローダンは自問した。カリフォルム――コンテナがその概念と密接に結びついているのは明らかだった――とは何なのだ? 互いにこれほどの犠牲を払う、何があるというのか?
テラナーの思考を、A-ケスタの叫びが中断させた。
逃走したセントリファールは反応炉へ向かっている――。
A-ギデカイの遺志は「生命に代えても」A-ケスタたちを抹殺することだった。氏族最後の生き残りも、忠実にその命を果たさんとしているのだ。
パラデアの隠し通路を用いて、他に先んじて機関室へと到着したローダンは、反応炉の前でいまにも息絶えようとしているセントリファールを発見する。
反応炉を暴走させようとした操作をブリーが逆転させているあいだに、ローダンは死にゆく者の口元に耳を寄せ、その臨終の言葉を聞いた。
「遅すぎた……。
カリフォルムはセントリファール・セントラに戦争と、われらすべてに誇りを失った世紀とをもたらすのだ……」
間一髪で《キイズ》は救われた。セントリフ星系まではあと6日。
A-ケスタのもとへ戻ったテラナーは、あのコンテナが開く場に立ち会うことになる。
A-ギデカイらは明らかにA-ケスタを――それとも、何であれ“カリフォルム”を――待ちうけていた。セントリファール・セントラの支配者たちに存在を察知されているらしいという、状況の変化が氏族長にそれを強いたのだ。
コンテナは開き……その中で深層睡眠状態にあったものがめざめる。
――カリフォルム。
彼は、カリフォルム。伝説のA-ゲデオンタの後継者。セントリファールに栄光ある未来をもたらすもの。セントリファール・セントラのA-ベチャガ政権に対抗しうる政治的影響力をもつ、ただひとりの存在。
A-ケスタによって紹介され、結果的にカリフォルム自身の生命を救ったことへの感謝の言葉をうけながら、ローダンもセントリファールの放つ強烈なカリスマを感じずにはいられなかった。
だが、同時にまたテラナーは、デミンの言葉を思い出していた。
パラデアは、カリフォルムの眠るコンテナを何と評していた?
『――あれは、死と流血と苦痛に満ちた夢を見続けている』
カリフォルムは、隠密裏にセントリファール・セントラへ潜入しようとするおのれのもくろみが露見していることを知り、逆にそれを利用するべく、戦術を切り換えた。公然と、かれの故郷へと凱旋するのだ。
依頼をうけた《キイズ》の通信センターからセントリフ星系へと公開周波数でハイパー通信が送り出され、カリフォルムの帰還が報じられた。
これで、もはや“事故”は起こりようがない。A-ベチャガはガローン人を、そのシフティングを怖れているからだ。
では、カリフォルムは?
「ガローン人を捜している? そんなものは、もはや存在しない!」
セントリファールは、ペリー・ローダンの言葉に同情の笑みすら浮かべた。
プランタグーでは数千年の昔からガローン人の外観すら忘れ去られている。彼らが最後にシフティングを行ってからでさえ、すでに千年以上の時が経過していた。
ガローン人は人知れず滅び去ったのだと、カリフォルムは確信している。
それなのに、彼らを畏れ、そのシフティングを怖れ、見せかけだけの平和を保つ民族の姿は、カリフォルムにとって滑稽なものでしかなかった。
失われた誇りを取り戻す――それが“解放者”カリフォルムの目標なのだ。
セントリファールの中央世界、セントリファール・セントラ。その首都クルソルに《キイズ》が到着したのは、いずこ――それとも、いつ――にあるのかもわからない銀河系の暦で、1288年も暮れようとする12月30日のことだった。
そして、テラナーはカリフォルムが“解放者”を自認するに十二分な影響力を持っていることを、改めて目のあたりにする。
宇宙港と、そこへと続く中央街道は、すべて群集で埋めつくされていた。
カリフォルム、カリフォルム――! その名を連呼し、熱狂してこぶしをふりあげるセントリファールたち。
彼らは、確かに待っているのだ。ガローン人という見えないくびきから解放される時を。
クルソルのアジトへ到着した後、カリフォルムはくりかえし、素性を隠して街へと出た。
流浪の日々は、彼を氏族を持たぬ身としていた。セントリファール社会の根底には、最低7名の氏族システムが存在し、そこに属さぬものはあらゆる市民権を剥奪されたも同然だった。カリフォルムがセントリファールの頂点に立つためには、おのれの氏族を新しく構成しなくてはならない。
幾度かそれに同行したローダンとブルは、現状に不満を持つセントリファールが続々とカリフォルム――いまや氏族の長、A-カリフォルム――のもとへ馳せ参じるのを見る。同時にそれは、《キイズ》で感じた予感……死と流血に満ちた革命が、着実に実現へと近づいていることを意味した。
一方、テラナーは四分割された都市クルソルの一区画が、セントリファールという苛烈な種族には不釣り合いな芸術家たちのエリアとなっていることを知り、疑問を抱いた。
エリアの中央にそびえ立つ彫像の前で、そのことを訊ねると、A-カリフォルムはこう答えた。
「あれは英雄A-ゲデオンタの像だ。
数千年前、彼の破竹の進軍をガローン人が押しとどめたとき、セントリファールたちは変わらざるをえなかった」
……では、最後のシフティングはここセントリファール・セントラで行われたのだ。ローダンは戦慄した。セントリファールたちの秘めた怒りの一端が理解できたような気がした。
だが、闘争的種族に文化を発展させたことは、あるいはシフティングのポジティヴな側面ではないのか? テラナーにはわからなかった。
《ゲデオンタ》――伝説の英雄A-ゲデオンタの名を冠された地下組織は、A-カリフォルムの不在のあいだ、眠っていたわけでなかった。
クルソルはおろか、セントリファール・セントラ中に張りめぐらされたネットワークで、間近い蜂起がほのめかされた。準備は整っていた。ガローン人を怖れる惰弱なA-ベチャガよ、去れ! ――そうA-カリフォルムが命じるだけでよかった。
他方ローダンは、A-カリフォルムが単なる革命家にはとどまらないであろうことを理解しつつあった。そうした資質を持つ人物を、その長い人生でテラナーは数多く知っていた。それは……独裁者である。
現政府転覆の成功した後に宇宙船を用立てることをA-カリフォルムは約束していたが、ローダンはそれが実現しないだろうと予感していた。セントリファールは、テラナーたちの技術的知識がプランタグーの水準を数千年上回っていることを知っており、その利用を考えているらしかった。おそらく、ローダンたちが“解放”されることはないだろう。
そう考えたテラナーたちは、A-ベチャガとのコンタクトを模索しようと、宵闇にまぎれひそかにアジトを離れた。
だが、超技術をもつ異人の噂は政権側でもつかんでいた。それがゲデオンタに協力しているという誇張とともに。
闇の中のローダンたちを、秘密警察の銃口がとらえた……。
A-ベチャガは、カリフォルムがセントリファール・セントラから逃亡した日を呪った。
当時まだ創設まもなく、ささやかな組織だったゲデオンタが、今日これほど大きな影響を持つにいたったのは、ひとえにカリフォルムの存在のためだった。しかし、彼にはカリフォルムを殺すことはできなかった。いや、殺してはならなかった。
A-ベチャガ自身、ガローン人の存在を確信しているわけではない。だが、疑いだけから不用意な行為におよんで、シフティングを招くことは許されなかったのだ。たとえ、カリフォルムにどれほど弱腰とののしられようと――。
潜入させたスパイからの報告で、ゲデオンタの蜂起が近いことを知った政府主席に残された手段は、さほど多くなかった。
いま、A-ベチャガは重大な決断を強いられている。不幸な“事故”を起こすことの……。
そうして、ミサイルの“誤射”の指令を下した彼のもとに、ひとつの報告が届いた。カリフォルムの連れていた異人たちが捕らえられたのだ。A-ベチャガは彼らを尋問すべく、執務室へ連行させる。
麻痺から回復した異人たち――ローダンとブル――が、スパイを看破したゲデオンタがアジトを変えたことを告げたとき、政府主席は自分が最大のミスを犯したことを悟った。
ミサイルはゲデオンタのアジトを直撃した。だが、そこには“事故”の犠牲となるべきものはひとりもいなかった。もちろん、A-カリフォルムも。
それが何を意味するのか、火を見るよりも明らかだった。
A-カリフォルムのアジテーションは、クルソルのみならず、親ゲデオンタのメディアを介してセントリファール・セントラ全域でくりかえし報じられた。
A-ベチャガは殺人者だ! 彼自身ガローン人の実在を信じていないからこそ、あのような凶行に及ぶことができ……それなのに、神話によって誇りなき暮らしをセントリファールたちに強制している。
起て、セントリファールよ!
ガローン人はもういない!
A-ベチャガの虚言に惑わされず、自由を取り戻せ!
アジト襲撃に対するゲデオンタの反撃は、激昂する市民たちの合流によってまたたくうちにその規模を拡大していった。A-ベチャガの親衛隊すら、ふたつに分かれて争うありさまだった。護る側より、むしろ離反する者の方が多い。
事態の趨勢は、見る見るうちにゲデオンタへと傾いていった。
やがて、死と破壊の一夜が明け、クルソルに朝の光がさしそめた。
それが照らしだしたのは、すでにして廃墟も同然の惨状だった。
A-ベチャガは一夜にして何倍も歳老いたかのようだった。彼は、自分が敗北したことを悟ってはいたが、A-カリフォルムに降伏するつもりなどさらさらなかった。
かつて、カリフォルムがセントリファール・セントラから亡命したように、いったんは惑星を離れ、起死回生の日を待つのだ。ゲデオンタの栄華が長くつづくことはない……ガローン人あるかぎり……。
その論拠がうつろなものであることは、その場にいたA-ベチャガの腹心たちにもわかっていた。これほどの殺戮が蔓延したセントリフ星系が、いまなおシフティングを招来しない事実が、なによりの証。
……ガローン人はもういないのだ。
だが、彼らには他に道はない。ゲデオンタの包囲をかいくぐり、一行はクルソル郊外の、ある私設宙港へとむかった。ローダンとブルもこれに同行する。そこには、A-ベチャガが万一のときのために用意した船があった。宇宙ヨット《トロンター》である。
名義が別人になっているためゲデオンタの目を逃れていたらしい老朽船で、かつてのセントリファール政府主席は、その君臨していた惑星を逃亡する。
だが、彼らに目標は……ない。
A-カリフォルムは、わずか数日のあいだにセントリファール・セントラ全土を掌握していった。だが、彼にとり、ここまではすべて既定の路線でしかなかった。
A-ベチャガとペリー・ローダンたちを取り逃がしたことは残念ではあったが、すでに彼の中では過去のことだった。いまさら、彼らに何ができる?
いま、A-カリフォルムのめざすところは、一義にA-ゲデオンタの時代に失われたセントリファールの栄光をとりもどすこと。それは、すなわちプランタグーに覇を唱えることなのだ。
新たな政府主席A-カリフォルムは、艦隊を再編、総動員する命令を下した。再び、セントリファールの強大な艦隊が、プランタグーの星の海を雄飛するのだ!
最初の目標は、すぐに決定された。すでにA-ベチャガの時代から、高価な5次元振動水晶――銀河系でいうホワルゴニウム――発掘の利権をめぐり、クローグとの争議が多発している鉱山惑星があった。セントリファールの影響星域のはずれにあるトリーガーである。
歴史的には、セントリファールによって開発され、クローグが借地権を得て採掘をおこなっている。だが、現在ではクローグはなんらの許可も得ずに新たな鉱脈から採掘をはじめている状態だった。
そして、A-カリフォルムの退去要求をクローグの代表者は一蹴した。
プランタグーのどの種族も、それで武力が行使されるとは思ってもみないだろう。A-カリフォルムに率いられたセントリファールをのぞいては。
就役したばかりの戦艦《セントリフの誇り》を旗艦とした、プランタグーがこの数千年見たこともないような艦隊がセントリファール・セントラを進発していく。
その攻撃目標は、鉱山惑星トリーガー。
セントリフ星系からさほど遠くない虚空で、《トロンター》はA-カリフォルムとクローグのあいだで交わされた通信を傍受していた。
トリーガー問題を熟知していたA-ベチャガは、ゲデオンタの首領が何をたくらんでいるのかを即座に看破した。そして、カリフォルムが本気ならば、ヨット1隻では如何ともしようのないことも。
しかし、ローダンとブルは肯んじなかった。いかなる理由があれ、戦争は回避されねばならない。無論、A-カリフォルムを説得することの困難さは、わずかの期間とはいえ、ともに行動したローダンたちにもよくわかっていた。それでも、無意味な殺戮を座して見逃すわけにはいかない。
テラナーたちの熱意に気圧されたセントリファールは、《トロンター》の針路を1800光年離れたトリーガーにむけた。
だが、老朽船《トリーガー》が数度の遷移によって到着したとき、トリーガー上空では、すでに戦闘の口火が切られていた。圧倒的なセントリファール艦隊に対して、攻撃など予想だにしていなかったクローグの側に勝ち目はなかった。数十隻の警護艦隊もとうに逃げ出して影も形もない。
艦隊戦のあっけない幕切れとともに、A-カリフォルムは揚陸部隊の出動を命じた。
テラのシフトに相当する装甲車と、重武装の兵士たちがトリーガーへと降下していく。惑星上では、もはや戦闘といえるものはおこなわれていなかった。それは虐殺。そして、《トロンター》のローダンにも、A-ベチャガにも、それを止める手段はない。
星系外部で遠巻きにするクローグたちの箱船から発される超空間通信は、一様におなじ内容を懇願していた。
――ガローン人に助けを求める声。
A-カリフォルムは嘲笑をもってそれを聞いた。
A-ベチャガにも、もはや信じる力は残されていなかった。
うち捨てられた都市ガーロで死にゆくガローン人を目撃したローダンとブルだけが、いまなお、かの種族の現存を信じていた。
そうして、それに応えるかのように、彼らは現われたのだ。
真珠のように白く輝く卵形の船は、誰も気づかぬうちに探知スクリーンに出現していた。
遷移船に特有の構造振動をともなわずに通常空間に落下してきたのだ。リニア駆動、あるいはメタグラヴ。ともあれ、その静けさは、20隻の船団がプランタグーの水準をはるかに超える技術の産物であることをこれ以上ないほど雄弁に物語っていた。
それが意味するところは、ただひとつ。
ガローン人だ!
何事かを命じかけたA-ベチャガが、言葉途中で硬直した。
それから、絶叫する。
司令室にいた者が、次々と同様の状態に陥った。
ローダンも、頭蓋に浸透する鈍痛を感じ、周囲が歪み、何もない空間にとりのこされたような感覚を味わった。同時に、侵入してくる概念――。
静穏、平和、完璧な調和……。
シフティング。これがガローン人のシフティングなのだ。
そして、感化力が不意に消えうせた。あたりを見まわすと、ブリーだけが彼と同じく自分をとりもどしていた。ガーロでの“幸福還元”のときと同様、細胞活性装置と精神安定化処置が異質な影響を排除したのか。
やがて、苦悶の叫びはゆっくりと静まっていった。
探知スクリーンから、卵形船をしめす光点はなくなっていた。
あとに残されたものは――。
ガローン人は確かに、一滴の血も流さずに争いに幕をおろした。
だが、艦隊の数千人とセントリファール・セントラ――ガローン船は疎漏なく仕事を完遂したのだ――においてシフティングを受けた数万人は、すでに、闘うために生をうけたセントリファールではなかった。
彼らには、もはや何もない。残された生を生きる目的も意欲も。
そこにあるのは、ただ、攻撃衝動のすべてと余命の半ばとを削りとられた、セントリファールたちの抜け殻だった。わずか数万……人口比率としては微々たる数字だが、彼らの存在は、千年前とおなじく、セントリファールの社会に変化を余儀なくするだろう。
変革――シフティング。
あるいは、それがガローン人の望みなのか? こうしてプランタグーを作り替えていくことが? はたしてこれが……平和といえるのか?
ローダンには、自らの問いに答えることができなかった。
数日後、セントリファール・セントラを1隻の宇宙船が進発した。
《トロンター》である。政府主席に復帰したA-ベチャガから、テラナーたちの援助に対するささやかな見返りとして贈られたものは、この老朽船だった。乗員は、ペリー・ローダン、レジナルド・ブル、そして……シフティングによって未来のすべてを奪い去られた、A-カリフォルムの氏族たち。
彼らはガローン人をみつけだし、問うだろう。
何の権利があって、と――。
シフティングの洗礼をうけた彼らには、そう問う資格があるはずなのだ。