無限架橋 / I 蜂窩の扉

14 無・限・展・望

「いつの日か、ナディア、君より大いなる誰かが、宇宙へと至る
 この架け橋を渡るだろう。
 わたしは、それがペリー・ローダンであることを願う」

――1206年、サンプラー鏡像世界にて、ヴォルタゴ

 カリョーノ・ヤイは、クメログの第一公布者プレスト・ゴーの腹心とみなされていた。
 33歳の若さで督促師に抜擢されたことは、ヤイの才能のあらわれでもあった。彼女の信仰はゆるぎなく、将来はプレスト・ゴーの座を継ぐと目されてもいた。
 だが、それは大破局のおとずれる前のこと。
 予言のままに空が裂け、馴染み深き薄暮は消えうせた。神殿からは奇怪な柱が出現し、3名のテラナーが消息を絶ち、代わりに醜悪な異人があらわれた。テラナーたちはそれがクメログであり、神ならぬ悪しき存在は、キャメロットという異世界で死んだという。
 そんなはずはない。偉大な神クメログが、そんなぶざまな結末をむかえるはずがない。
 ヘーリークの創造主クメログは、伝説の語るように、いまもピルツドームのむこうにおわすにちがいないのだ。カリョーノ・ヤイは、それを確かめるすべを探しもとめた。
 それは、クメログの肉体は滅びてもその精神は不滅として、カタストロフからの復興を――1日も早く、世界からテラナーたちが消えることを望むプレスト・ゴーの意に染まぬ行動だった。それでも、彼女は自分の信仰を捨てることができなかった。そして彼女が督促師の証たる紫の僧衣を脱ぐこともなかった。
 世界――テラナーの言う「トロカン」――は変わり、いまや昼と夜とがあった。薄明に馴れたヘーリークたちは、テラナーのもたらした遮光眼鏡なしでは日中野外に出ることもできない。夜の闇と空に輝く星々もまた恐怖の対象であり、不眠症に陥るものも多かった。
 そんな中で、彼女が彼女でありつづけるのには、信仰という柱が不可欠だった。
 現在の彼女は、ヴェイ・イコラードとタンダー・セルを発言者とする新リアリストたちと行動をともにしていた。彼らは比較的テラナーと協力的な関係にあり、それゆえ、ピルツドーム周辺の調査にかかわる機会も多かったのだ。
 カリョーノ・ヤイにとって、多くのヘーリークと同様に、テラナーは友とはなりえなかった。それには、彼らはあまりにも異質。しかし、新たにトロカンを訪れたふたりの女性は、どこか他のテラナーとはちがっていた。
 原因はまもなくわかった。ふたりと他のテラナーをへだてているもの……それは彼女たちの有する“プシ能力”だった。ヘーリークにとっては、多かれ少なかれ顕在するものであり、何の問題もないことが、彼女たちをアウトサイダーにしていた。
 彼女たちは世界のはざまにある存在。ちょうど、現在のヘーリークたちとおなじように。そして、カリョーノ・ヤイとおなじように。

 ミラとナディアのヴァンデマー姉妹が、はじめてトロカンの地を踏んだのは、新銀河暦1289年3月1日のことだった。
 ギルガメシュ第10モジュール《エンザ》は、ソル星系への進入許可がおりるまで、数日待たねばならなかった。マイルズ・カンターは憤慨したが、それはどうにもならない事実だった。彼は現在もタイタン研究センターの指導的立場にあったが、それでもLFTから見ればキャメロットの人間であり――今回は、目的が目的だった。
 ピルツドームを、ヴァンデマーの超能力をもって探究する。カンターにとっては、事実上の敗北宣言に等しかった。それでも、円蓋柱を構成する“擬態物質”があらゆる科学的解析を拒む以上、消えたペリー・ローダンたち3人の行方をさぐる手段は他にない。
 だが、試みはその最初から困難をあらわにした。
 ミラとナディアはピルツドームの前に立ち、その構造視認の能力を円蓋柱に集中した。しかし、何にも到達することができなかった。あらゆる構造が曖昧摸糊としており、彼女たちの挑戦を拒絶した。
 それどころか、柱はふたりの超能力を“吸収”したのだ。ヴァンデマーたちは前進することも、後退することもできなかった。ピルツドームに集中したパワーは、乾いた海綿に水が吸い込まれるように消滅し……“それ”は彼女たちの体力をも呑み込んでいった。
 おそまきながら周囲の人間たちが異常に気づいたときには、すでにふたりはどうしようもないまでにピルツドームの魔力に囚われていた。そこにヘーリークたちがいなければ、いや、督促師として“祈り”の媒介たる訓練を積んだカリョーノ・ヤイがいなければ、おそらく姉妹はそのまま衰弱死していただろう。
 ヘーリークたちの祈りが、ヴァンデマーたちの精神をその肉体へと導いたのだ。

 ミラとナディアは、1日休養をとった後、再び円蓋柱への挑戦を試みる。
 マイルズ・カンターの制止も効果がなかった。なぜなら、ヴァンデマーの超能力は、彼女たちのレゾン・デートルだったからだ。
 ふたりはその意にそまぬ能力の結果、アウトサイダーとなることを強いられ、また同時に“鏡の生まれ”として細胞活性装置をさずけられた。永遠の生命は、必ずしも彼女たちの望むものではなかったが、そこには彼女たちの存在を求める何かがあった。
 そして、アレズム――宇宙の裏側で、ふたりは反生命アプルーゼを“視認”し、“変換”し、“破壊し”た。彼女たちの能力なくして、それは不可能であっただろう。
 ミラとナディアは、その超能力を憎悪した。しかし、同時にそれはふたりの唯一の誇りでもあったのだ。このままなすすべもなくピルツドームに屈するわけにはいかなかった。
 2度目の試みの際、ふたりは前回よりも慎重にことを進める。ピルツドームそれ自体……というよりも、辺縁部位から構造を認識していくのだ。ピルツドーム支柱下部には、なんらかの空洞の形跡があったが、そこには何も存在しなかった。カリョーノ・ヤイが期待したように、クメログが柱の中にいるということは、もちろんありえなかったが、それはまた、ローダンたちもピルツドーム内部にはいないということだった。
 そして、頂部円蓋は――。鏡の生まれたちは、その力を呑み込むのが“そこ”であることを悟っていた。それでも、何か、転送機のような効果が感じられたときには、ふたりはすでに吸収効果の圏内にあった。

 ふたりの異常を察したカリョーノ・ヤイらヘーリークの念の力の助けで、ヴァンデマー姉妹の精神は、ふたたび疲労の極に達してその肉体に帰還する。活性装置が回復を早めるとはいえ、ふたりの身体はその限界に達していた。
 さらに、3度目の試みをめぐって、カンターと姉妹が論争をくりひろげるより早く、予想外の事態が発生する。
 ピルツドームの周囲は、テラナーと協力関係にある新リアリストたちの活動を助けるため、直径数キロにわたって、遮光バリアが張りめぐらされていた。その外縁に、数百のヘーリークたちが集結する。
 彼らを率いるのは、クメログの第一公布者プレスト・ゴー。階級社会の存在しないトロカンで、唯一“権威”ともいうべきものを帯びた老女は、クメログ神殿の聖地をこれ以上テラナーたちが冒涜することを許さないと告げ、3日以内に退去するよう要求してきたのだ。
 数百のヘーリークはそのための示威行動。プレスト・ゴーを中心とするかれらの祈りは、〈巨人シムバー〉の眷族たる〈侏儒パロミン〉、〈あまたの姿のブロディク〉などの物質プロジェクションを出現させ、バリアを脅かした。
 ヴェイ・イコラードとカリョーノ・ヤイによる仲介は無残な失敗に終わった。プレスト・ゴーは、テラナーを「クメログを殺し、信仰を破壊する悪魔」と呼び、それと協力するかつての腹心を「背教者」となじった。ヤイもまた、かつて敬愛した第一公布者が、新たな時代に対応しえぬ老女にすぎぬことを痛感し、それ以上の説得を断念する。
 トロカンにおけるLFT代表ジェレミー・アルゲントも、マイルズ・カンターも、ヘーリークとテラナーとの紛争や、なかんずくヘーリーク同士の軋轢を生じさせるつもりはなく、退去請求には応じざるをえない。
 そうして、ヴァンデマー姉妹は、撤収前日――すなわち3月5日――に、あるいは最後になるかもしれないピルツドーム分析を試みることを宣言する。その決意の固さは、カンターの反対を許さなかった。

 前回より消耗の度合が激しいためもあって、ミラとナディアは医療センターのベッドに横たわるままの試みとなった。すでに、視認コンタクトは不要でもあった。カンターやキャメロットの人々、そしてカリョーノ・ヤイをはじめとする新リアリストからの志願者たちの前で、鏡の生まれたる姉妹は瞑想状態に入った。
 ピルツドームの外殻を突破するのには、すでに困難はない。これまで2度の試みから、ふたりは円蓋柱の内部の構造が、鏡の生まれの能力をもってしても把握しきれない速度で変化しつづけていることを知っていた。そして、その“流れ”のどこかに足がかりとなるポイントがあるはずなのだ。
 だが、あるいは、ヴァンデマーは自らの超能力を過信していたのかもしれない。構造変化の奔流は、抗すべくもない強さでふたりの精神を押し流していった。……永遠のかなたまで。

 カリョーノ・ヤイは、200名のヘーリークたちの祈りとともにあった。
 ヴァンデマー姉妹の肉体は、あらゆる蘇生の試みにも何の反応も示さない。マイルズ・カンターの激昂にも、メド・ロボットは無慈悲な冷徹さで答えた。医学的には、ふたりは死んだのだ。
 カリョーノ・ヤイの反応は、むしろそのロボットに近い。ヘーリークには、死を悼むとか、畏怖するという感情が極端に乏しかった。
 それでも、彼女はいま一度の試みをはかった。テラナーの科学ではかなわないこと。
 クメログのおわす円蓋柱のかなたから、ヴァンデマー姉妹の精神を呼び戻すということを。

 ミラとナディアは、どこともしれぬ場所を転落していた。少なくとも、その属すべき通常宇宙でない。
 ふたりは“道”をみつけたのだ。ピルツドームの開く道を。
 だが、彼女たちには、もはや戻る力はなかった。それは、敗北を意味した。
 絶望して最期を待つふたりの前に、不意に何かが形をなした。4メートルもあろうかという姿は、ヘーリークたちの念が創造する半物質プロジェクションのひとつ、〈白のエクリル〉。その腕は、次元の迷宮から彼女たちを救い上げる蜘蛛の糸だった。
 そして、生へと帰還する道で、ミラとナディアは、何かを目撃したと思った。
 ひとつの言葉が、記憶の底から蘇ってくる。
 ……〈無限への架け橋〉と。

 ミラとナディアは、ある確信をもって、ピルツドームを一種の転送機と断言した。
 〈無限への架け橋〉は、その資格をもつものしか渡ることはできない。かつて、サンプラー惑星をめぐる鏡の道で、サイバークローン、ヴォルタゴはそう言った。超能力で強引に道を開いたヴァンデマー姉妹は、ピルツドームが正常な反応をしめさなかったため次元転落に陥ったと考えられた。
 クメログがトロカンに出現したわけを、テラナーたちははじめて知ったのだ。そして、それは同時に、ピルツドーム内部にローダンたちが存在しない理由でもあった。
 彼らは〈架け橋〉を渡り、いずこかへと転送されたのだ。
 それがどこかを探ることが、ヴァンデマー姉妹にさらなる挑戦を決意させる。
 そして、クメログ神の現存の証をもとめるカリョーノ・ヤイにも。キャメロットで死んだのは真のクメログではなく、〈橋〉のむこうのどこかに、いまも生きてあるのだと知るために。

 彼らに〈橋〉を渡ることはできない。
 だが、ナディアと、そして〈白のエクリル〉の支えで、ミラは“視認”する。
 永遠のたゆたう空間の彼方に、窓を開いて。
 それは……。

 丘の連なる褐色の情景。
 緑はないが、それはけっして不毛の色ではなかった。
 どこか明るく、豊饒を思わせる光景だった。
 感じられるはずもない芳香が、頬をなでて通りすぎる涼風が感じられた。
 連なる丘のかなた、地平線には、未来的な高層建築のスカイライン。
 メトロポリスの遠景は、あらゆる問題を忘れさせるほど平和と調和に満ちていた。
 不意に、“窓”を横切るようにひとつの姿があらわれた。
 2メートルほどのヒューマノイド。おそろしく痩せたその身をつつむ肌は、銀色にきらめいている。
 すぐにその人影は“窓”の反対側へと消え去り、多くを知ることはできなかった。
 そして、〈白のエクリル〉の支持力も長くはもたなかった。
 “窓”がゆっくり、しかし確実に狭まりはじめ、魅惑のジオラマを再び永遠のかなたへと封じ込めていった……。

 明けて、3月6日。
 すでにテラナーと新リアリストたちの神殿跡地からの撤収は開始されており、モーンド市郊外に新たな活動拠点を準備しつつあった。
 だが、ミラとナディアは、その超能力の存在がプレスト・ゴーを刺激しかねないため、《エンザ》とともにトロカンを去ることとなっていた。新リアリストたちを代表して見送りに訪れたカリョーノ・ヤイと、ふたりは短い挨拶をかわした。
 かつての督促師は、無限への架け橋のかなたの情景に、その悲願は達成されたと信じている。あの秩序と平和の世界にこそ、彼女のクメログ神が生きている、と。テラナーたちには、その確信を妨げることはできなかった。
 一週間にも満たない滞在だった。ミラとナディアは、その間にピルツドームに関しては大きな前進をなしとげた。
 だが、テラナーとヘーリークの世界にあいだに、越えがたいへだたりがあることが明らかとなった6日間でもあった。クメログの子らは、その世界にテラナーの存在を望まない。テラナーから多くを学んだ新リアリストたちですら、そうであった。
 それでも、どれほど異質ではあっても、そのいくらかは理解できる。ヴァンデマー姉妹も、カリョーノ・ヤイも、口にはしないがそう感じていた。
 口にしたのは、ごくわずかな言葉。
 ――再会の約束だった。

Posted by psytoh