時間超越 ヴィジョン

ハヤカワ版, 誤訳

さて、おひさしぶり(笑)の「時間超越」。とうとう5月にまで食い込んでしまった。今回は10章内「ヴィジョン」である。

時間の井戸に首までつかった――は意味が逆だな(笑) 首つっこんだアラスカが見たヴィジョンとは!? なのだが。なにこれ、さっぱりわかんねーよっ、って読者さん、多そうだ。最初に言っておく。例によって、訳、gdgdなんである。というより、わざわざ、アラスカがいま、何時・何処にいて、どういう状況か、わかる描写をガンガン削ってしまって、自分でわからなくなっているように見うけられる。

なので今回は、「訳されていない」場所を比較してもらえるよう、最初に試訳全文を掲載する。

試訳
 いまいるのがどこで、この見なれない環境にどうやって自分が顕在しているのか、アラスカにははっきりわからない。かれは滑空していた。それとも、惑星地表がかれの下を通りすぎていくのか?
 しばらくのあいだ、理性的な思考は成りたたなかった。自分自身のことで手いっぱいだったのだ。それとわかる肉体もなしに観察しうるというこの現象は、まったく新奇なもの。まずは、これに慣れなくては。
 アラスカは、人気ひとけのない土地の上空にいた。まもなく、それがどこかに気づく。
 旧南米、アンデス山脈にある高原だ。
 ここはアルティプラノ上空だった。
 方角を見さだめようとするが、いまいる謎めいたポジションからでは不可能。すべてが動いていた。町、村、この地方には無数にある計測・制御ステーションが、みるみる通りすぎていく
 一度は、ティワナクの特別保護区域を認めたように思われた。
 地上ステーションの存在から、自分が“現在”にいることは確信していた。すなわち、メールストロームにある地球に。
 アフィリカーの地球だ!
 ティワナクは消え、終わりのない連鎖のように、チチカカ湖、そしてアレキパ、ワンカヨ、クスコ等々といった都市があらわれる。
 この地上の光景は、どこかおかしい、とアラスカは思った。なにかが、なにか決定的なものが変わってしまっている! 一心不乱に考える。おそらく、かれはすでに回答を知っている。それでいて、認めるを拒否しているのだ。
 地表の――それともアラスカの――動きがいっそう速くなった。あまりに目まぐるしく情景が移りかわるため、もはや肉体をもたぬ観察者には消化しきれない。
それから、すべてがおもむろに停止した。
 アラスカはとある大都市を見おろした。すぐにはどこだかわからない。
 その瞬間、自分がなにを認識し、かつ受けいれていなかったのか、理解した。
 都市は見捨てられていた!
 ひとりとして、人間がいないのだ。
 それは、ここまで見てきたすべての都市にもあてはまる。
 ひやりとした恐怖がアラスカをつつみこんだ。ピンでとめられた標本のような気分。
 情景が切りかわった。
 孤独な観察者の下、地球が自転している。大陸があらわれては消え、都市と大地がいれちがっていく。破壊の徴候はどこにも存在しなかった。なにもかもが、たったいま放置されたように見える。
 ヴィジョンから導きだされるのは、破滅的な結論
 地球には、もはや人類がいなかったヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
 潜在意識と、デログヴァニエンに残された肉体との説明できない連携で、アラスカ・シェーデレーアは時間の井戸から頭をひきぬいた。ヴィジョンはたちどころに終了した。

……。
地名・都市名については、ティワナク同様、今回はWikipediaに倣うことにした。
一通り目を通していただいたら、各論(笑)に移ろう。

■251p

ハヤカワ版:
 ここがどこか、どうやってこのなじみのない場所にやってきたか、正確にはわからない。たんに“スライド”してきたのか? それとも、惑星地表を動きまわったあげくなのか……?
原文:
Alaska wußte nicht genau, wo er sich befand und auf welcher Weise er sich in dieser ungewohnten Umgebung manifestierte. Er glitt dahin. Oder bewegte sich die Oberfläche eines Planeten unter ihm hinweg?

動詞 manifestieren は、某党マニフェストなんて風にも使われるとおり、「宣言する、声明を出す、明らかにする」である。ただし、SFやホラーなんかだと、「(存在が)顕在する」という使われ方が多い。
動詞 gleiten は「滑る、滑走する」だが、ローダンの場合は、グライダーと同根、といった方がわかりやすいかと思う。「滑空する」である。この場合、さらに dahin 「(ここから)あちらへ」とくっついた分離動詞っぽいが、意味的にはいっしょ。

さて、アラスカはいまどこにいるのか? 訳文だと、まるで転送されてきたように書いているが(前の文章を「べつの環境にいた。」とも訳しているし)、要するにアラスカ、首だけ別の時空につっこんだ状態である。そして、これ、空にアラスカの首が浮かんでいる状態をイメージしてもらった方が理解しやすいはずだ。実際にはもうちょいちがうのだが……とにかく「地表を動きまわる」とか、論外w

ハヤカワ版:
 アラスカ・シェーデレーアはしばらくのあいだ、理性的な思考ができなくなっていた。おのれの置かれた状況を把握しようと、意識のすべてを動員していたから。だが、やがて新しい環境にも慣れはじめる。
原文:
 Eine Zeitlang brachte er keinen vernünftigen Gedanken zustande, denn er war allein mit sich selbst beschäftigt. Das Phänomen, ohne einen fühlbaren eigenen Körper beobachten zu können, war völlig neu für ihn. Er mußte sich erst daran gewöhnen.

意識、という単語は原文中にない。内容的には近いんだけどね。逆に、Phänomen「現象」とか、Körper「肉体」という単語は、訳文中に見うけられない。原文まんなかの文章は「感知しうる自分の肉体なしに観察するという現象」……つまり上記首だけ状態の説明である。首もないか(笑) 視覚だけが……「あなたの目はあなたの体を離れて」、滑空しつつ眼下の情景を見ているのだ――と、本来、読者はここまでに理解しているはず。
なんだが、なぜかバッサリやられている。なぜだ?

ハヤカワ版:
 地表のように見える場所を去り……しばらくして、自分がどこにいるか、ようやく認識した。
 “かなり昔”の南アメリカ大陸、アンデス地方の高原だ。
 アルティプラノにちがいない。
原文:
Alaska befand sich über eiem verlassen aussehenden Land. Wenig später erkannte er, wo er war.
Diese Hochebene lag in den Anden des ehemaligen Südamerikas.
Alaska befand sich über dem Altiplano.

befand sich は、前にも書いたが、「どこそこにいた」。前置詞 über は、場所関係に用いる場合、「~の上(接触していない)」。ぶっちゃけ、どこそこの上空にいた、である。大事なことなので2回言っているのに(笑) 2回とも無視されている。
verlassen は動詞 verließen「離れる」の過去分詞で「人気のない、無人の」なんだが……。befand sich があるのに、不定冠詞が前にある Land の修飾なのに、なんで動詞として訳すのかねえ。Land に見える(aussehen)場所を verlassen? verlassen に見える Land だよっ。

また、最近すぐ“”つけてごまかしてるけど、ehemalig を「“かなり昔”」って、どんな読み方やねん。前の章でも書いたけど、単に「旧南米」でしょ。「テラのアルティプラノ」じゃわかりづらいからという補足説明と見るべき。しかも、これを作中時間として想定すると、つづくアラスカの観察と矛盾してるよ?

ハヤカワ版:
 いまいるポジションを特定しようとするが、うまくいかなかった。町、村、あるいは地域の計測・制御ステーションが、近くにあるはずなのだが。
 一度、ティアワナコの特徴を認めたように思ったが、それだけだった。
原文:
Er versuchte sich zu orientieren, aber das war von seiner rätselhaften Positon aus nicht möglich. Alles schien in Bewegung. Stadte, Dörfer und die in diesem Gebiet sehr zahlreichen Meß- und Kontrollstationen huschten vorüber.
Einmal glaubte Alaska den besonders abgegrenzten Bezirk von Tiahuanaco zu erkennen.

動詞 oritentieren は、オリエンテーリングから推測できるように、「方向をさだめる、調べる」だが、原文だと「ポジション」は別の文節にある。右も左もわからないけど、そもそもいまいる位置が特定できないから基準がない、のだ。
そんでもって、次の文章「すべてが動いている」を削除したせいで、原因不明になって、動いているものを描写したはずの文章が、まるで原因のように訳されている。

動詞 huschen は「急いでいく」、 vorüber「通りすぎて」とくっついて、「さっと通過していく」くらいの意味になるわけだが。この動詞も消滅している。通りすぎるどころか、町も村もステーションも、訳文だと、みつかってすらいないようだ(笑)

besonders abgegrenzter Bezirk は、遺跡の保護区域と判断した。「特別に・しきられた・エリア」である。ただし、特別保護区、とは一致しないので、訳し方はまちがっているかもしれない。

ハヤカワ版:
 地表の風景を見るかぎり、ここが地球なのはたしかだ……ただし、メールストロームに“流された”あとの……
 アフィリカーの地球だ!
原文:
Der Anblick der Bodenstationen überzeugte Alaska davon, daß er sich in der Gegenwart befand. Das konnte bedeuten, daß er sich über jener Erde aufhielt, die im Mahlsrom stand.
Die Erde der Aphiliker!

ステーションがあるから現在の地球だ、とアラスカは判断している。なのに、上記でステーションがみつかっていないから、「地表の風景」とやってごまかしている。バックしろよ。まちがえたこと、ここでわかるだろ?

さらにいえば、もうちょっと前の「“かなり昔”」に、判断の材料がなにも書いてなかったことも思いだしてほしい。アラスカがヴィジョン中の時間について考えているのは、ここがはじめてなのだ。

ハヤカワ版:
 ティアワナコは消え、ティティカカ湖があらわれた。つづいて、アレクィパ、ワンカィヨ、クスコその他の都市が見えてくる。
 しかし、この風景はどこかおかしい。なにか重要なものが違うのだ! アラスカは緊張した。無意識下では、その原因がわかっているような気がするが、意識がそれを認めるのを拒否している。
原文:
Tiahuanaco verschwand, in einer endlosen Kette erschienen der Titicacasee, Ariquipa, Huancaya, Cusco und andere Städte.
Alaska erkannte, daß dort unten irgend etwas nicht stimmte. Es hatte sich etwas verändert, etwas Entscheidendes! Er dachte angestrengt nach. Wahrscheinlich kannte er die Lösung bereits, aber er weigerte sich, sie anzuerkennen.

名詞 Kette は「鎖、チェーン」。Kettenreaktion で「連鎖反応」。で、この場合、チェーンをたぐるように、都市が次から次にあらわれ(ては消え)るのだ。

angestrengt 「緊張した、真剣な、無理をした」は、動詞 anstrengen 「酷使する、(緊張させて)くたびれさせる」の過去分詞を、副詞として使用している……のだが。本来の動詞が消えてしまっている。nachdenken は「よく考える、思い返す、反省する」。ここでアラスカは、自分の見落としについて、真剣に「考え」ているのだ。

ハヤカワ版:
 ともあれ、動きが速すぎるのはたしかだ。動いているのが風景なのか、シェーデレーアのほうなのか、それはわからないが。とにかく、肉体のない観察者が、印象を消化できないほど速いのである。
 だが、次の瞬間、すべてが停止した。
原文:
Das Land – oder Alaska – bewegte sich jetzt schneller, die Eindrücke wechselten so schnell, daß der körperlose Beobachter sie kaum noch verarbeiten konnte.
Dann kam alles ruckartig zum Stillstand.

jetzt schneller ――「いま、もっと早く」だ。速度があがったのである。
これを、アラスカの思考に反応したとみるかはさておき、これまではなんとか、どこの都市だかわかっていたものが、ぐるんぐるんまわりはじめてさっぱりわからなくなった、と考えるべきだろう。

ハヤカワ版:
 気がつくと、正面に大都市がひろがっている。いままで見えなかった町だ。
 意識がうけいれを拒否していたのは、この都市にちがいない。
 町は見捨てられていた!
 だれも住んでいないのだ。
 そういえば、これまでに見てきた町も、すべて同じだった。
 氷のような恐怖の感覚が押しよせてくる。唖然として、移動できない。
原文:
Alaska blickte auf eine große Stadt, die er nicht auf den ersten Blick erkannte.
In diesem Augenblick begriff er, was er die ganze Zeit über registriert, aber nicht akzeptiert hatte.
Diese Stadt war verlassen!
Kein einziger Mensch lebte zwischen ihren Mauern.
Das traf für alle Städte zu, die er bisher erblickt hatte.
Ein eisiges Gefühl der Furcht hüllte Alaska ein. Er kam sich plötzlich wie festgenagelt vor.

blicken auf で「~の方向を見る」、再帰動詞 Aufblicken だと「~を見上げる、仰ぐ」。このあとでも、アラスカ(の目)は上空にいるのは変わらないから、いるとしても、正面ではなく「真上」である。

auf den ersten Blick は、「ひと目で、ぱっと見で」。むしろ、それまでの都市の方が、アラスカわかりすぎだと思うが(笑) なにか特徴的な建造物でも知っているのだろうか。
で、肝心なのは、この都市じゃなくて、中身なのである。気づいたことは、次の文章で説明しているのである。ビックリマークだってついている(笑) 勝手に補足して、話を破綻させるんじゃねーって。見たこともない、って自分で訳しといて、それをうけいれ拒否してた? 日本語としておかしいじゃないか。

Mauer は「壁」。いつの時代からの慣用句か知らないが、古代中国の城郭みたいなイメージなんだろか。「壁と壁のあいだ」が人の住むエリアというのは。日本人……というか、根っから平民のわたしにはわからないなあ。

動詞 einhüllen は「包む、くるむ」。押しよせて、というより、パックリのみこまれちゃったんじゃない? また動詞 festnageln は「釘で留める、釘付けにする、動きがとれない」だが、ここまで見たとおり、アラスカ自身には移動先の選択能力はない。試訳の方もたいがい意訳(超訳)だが、肉体がないのに「身動きがとれない」のも変だしねえ。

ハヤカワ版:
 風景が切り替わった。
 地球が孤独な観察者の下で回転している。大陸があらわれては消え、都市と広野が交互にすぎていった。どこにも破壊の痕跡はない。すべてがそのままの状態で、いきなり放棄されたように見える。
原文:
Das Bild wechselte.
Die Erde drehte sich unter dem einsamen Beobachter hinweg. Kontinente erschienen und verschwanden, Städte und Felder lösten einander ab. Nirgends gab es Anzeichen von Zerstörung. Alles sah so aus, als wäre es gerade verlassen worden.

この部分は、特にツッコミどころなし。
Anzeichen は、徴候つーより痕跡ってやった方が、たしかにわかりやすいよなあ。

ハヤカワ版:
 徹底的にうちのめされるようなヴィジョンだ。
 地球には、もはや人類がいなかった!
 いきなり、肉体を感じて、頭をあげる。潜在意識の説明できない作用で、デログヴァニエンの肉体にもどったのである。ヴィジョンは一瞬で消えた。
原文:
Das war die vernichtende Konsequenz der Vison:
Auf der Erde gab es keine Menschen mehr!
In einem unerklärlichen Zusammenspiel seines Unterbeweßtseins mit dem auf Derogwanien zurückgelassenen Körper hob Alaska Saedelaere den Kopf aus dem Zeitbrunnen. Die Vision endete sofort.

vernichtend は、これまで何度も見てきた、殲滅スーツと同根。動詞 vernichten 「破壊する、根絶する、消去する」の現在分詞で、「破壊的な、ぶちこわしの」。
名詞 Konsequenz は一連のシークエンスからたどりつく「結論」。文末がカンマでなくコロンなので、次の文章が、その結論の内容である。

名詞 Zusammenspiel は「合同競技、チームワーク、協力、相互作用」……と、辞書にはあるが、「連携プレー」だよなあ(笑) 潜在意識が肉体とタッグを組んだ、のである。また、肉体にもどった云々は、訳者の主観。首つっこんだだけなのだから、ひっこぬけば見えなくなるのが道理。

……。
と、いうわけで。わざわざ削除したとしか思えない描写が多すぎる。字数制限かなんか知らないけど、それで意味が通らなくなるとか、後ろの文章を改変するとか、タチ悪いよ。
それで辻褄が合わなくなってる個所があるのが、わかっていないのか、訳者のなかでは辻褄が合っているのか。前者だと困りもんだけど、まだ救いようがある……んだけどなぁ。

Posted by psytoh