1000話「テラナー」について (1)
今回のお題は、今更ながら1000話「テラナー」である。
2015年7月、ハヤカワ版ローダン500巻『テラナー』が刊行された。以前850話「バルディオク」を取り上げた際にも書いたが、ローダン・シリーズの流れ的に、フォルツ・ストーリーはここにひとつの集大成を迎える。次のクライマックスというべき、セト・アポフィスとの対決から無限アルマダ編の決着を見る前にフォルツが急逝してしまうため、あるいは、ここがひとつの終着点であるともいえる。
そんなわけで、一フォルツ・ファンとして、今回の翻訳と、「テラナー」それ自体について、いくつか述べてみたい。
はじめに テラナーへ贈る物語
ローダン・ヘフト1000話の表紙には、こう書かれている。
Der Terraner
Die kosmische Bestimmung der Menschheit
人類の宇宙的天命、と、ここでは訳しておく。
1000話「テラナー」は人類の天命の物語である、とだけ憶えておいてもらいたい。その詳細については、最終回で述べる。
◆
2004年にわたしが「テラナー」を翻訳した際の底本である原書第2版には、冒頭、2つの引用文と並んで献辞が置かれていた。
ウィリアム・フォルツより、
ペリー・ローダン読者と、
善意を抱くすべての人々へ捧ぐ原文:
William Voltz gewidmet,
den Perry Rhodan-Lesern
und allen, die guten Willens sind.
電子書籍版では、なぜか“ウィリアム・フォルツより”の部分が省略されたが、ちゃんと1ページ使って掲載されている。
まあ、ぶっちゃけスペースが足りなかったのだろう、ハヤカワ版は。しかし、だ。
本書「テラナー」は、やや特殊な位置づけを持った巻である。〈コスミック・ハンザ〉(※)サイクルの第1話目でありながら、作中の時間は前サイクルを引き継ぎ、ハンザ創設と新銀河暦導入に象徴される新時代の到来を受けて、次の1001話(実質的には1007話)で420年の時間ジャンプをおこなっている。
(※)なぜ「宇宙ハンザ」でないかは、やはり後述する。
第6章「宇宙への道」が超駆け足ながらシリーズ999話分のあらすじであることから、前後と隔絶した本書は、単独でも読める。というより、フォルツはこの1話に、“彼にとってのベリー・ローダン”を凝縮したのだと思う。
各章間に挿入されるグラフィティは、最後のものを除いては、ローダン世界ではない、われわれの同時代人の人生の断片が描かれる。一部に実在の人物と同名の例もあるが、直接の関係はない。あくまで個々の“テラナー”だ。
彼らと、彼らの周囲の人々が直面する問題は、本書が出版された1980年当時も現在も変わらず人類の抱える命題である。
(1) 戦争・内乱(タウ・スン・ヘン)
(2) アパルトヘイト(クドロ)
(3) 先住民の強制移住(スタンディング・ベア)
(4) 人権弾圧(ペドロ・アルメンダリス)
(5) 死の商人(J・ウォーカー)
(6) 公害(ウォルター・ハンセン)
(7) 麻薬(ジョッド・ケラー)
(8) 家庭内暴力(ロジャー・マンド)
(9) マスコミによる情報操作(J・チャンドラー)
……最後のは、ちょっと苦しいか(汗)
フォルツがこのグラフィティ形式を取ったのは、理想と現実、あるいは空想と現実の境界を曖昧にするとともに、ペリー・ローダンがシリーズ当初から抱く理念――全人類を“テラナー”とし、宇宙への道を踏み出すことを、もう一度問いかけるためではなかったか。
以前書いたことと重複するし、最終回でも取り扱うので詳述は置くとして、胸に秘めた天命に焦がれる気持ちにしたがうことで、誰もが“テラナー”たりえると、そう訴えるためではなかったか。
(→ わしがテラナー、ペリー・ローダンであるっ)
心に善を抱くすべての人々――そう、1000話「テラナー」は、すべての“テラナー”に贈られた物語、であるのだと思う。
そう考えると、この献辞は削除してはいけないものなのだ。
言い方を変えると、本書「テラナー」は、献辞・引用文・グラフィティ・本編のすべてが組み合わさって、独立したひとつの物語を構成している。粗末に扱ったらバチがあたるのだ(笑)
と、まあ、最初からヨタをとばしている感が半端ないが、ここから順を追って――いや、まずは主人公ペリー・ローダンのこれまでの道のりをもう一度ふりかえるところからはじめていこう。
◆
「第1部 大宇宙(の後継者)への道」に続く。
次回はだいぶ、いつものごやてんらしくなっているはずであるw
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