850話『バルディオク』の翻訳について

ハヤカワ版, 誤訳

ハヤカワ版ローダン425巻『バルディオク』が刊行された。
850話『バルディオク』は、フォルツ作品のひとつの頂点である。シリーズの流れ的には1000話の方が集大成かもしれないが、力強き者バルディオクとその兄弟たちの運命が描かれるこちらの方が、ストーリーとしては上だと、個人的には思っている。

なもので、よせばいいのに、買ってきてしまったわけだ。ハヤカワ版。
……やだなにこれひどい過去最悪のできばえじゃんorz

正直、これ、まちがってる箇所の訳文と原文を「引用」していったら、全文をインターネット公開したと訴えられかねないレベルである。
以前、数と性と時制だけはちゃんと訳せ、と書いた。この3つだけでも正しく読み解けば、ここまで間違った文章はできあがらないのだ。それなのに、相も変わらず、できてない。

ライレって、座ったまま“平面”の最期と運命をともにしそうだなー、と慨嘆するバルディオク(142p)。
仮定法で「将来、こうなるかもしれない(と、仮定)」と、ちゃんと書いてあるのに、読まないのか、それとも読めないのか。
適当に現在のこととして訳すから、前後の脈絡が合わない。
→「反映」とか原文にない表現を創作してつじつま合わせたつもりでも、前後とまるでかみあってないので、傷口がさらに広がっている。

自分が死にそうなのに、バルディオクを死んだことにするローダン(158p)。
ローダンならテラナー男性(男性名詞)だから 人称代名詞は er。
バルディオクは超知生体(女性名詞)なので、人称代名詞は sie。
「かれ(er)がいまにも死んでしまう(これまた仮定法)、という可能性も捨てきれない」という文章なので、ここは明らかに「死んじゃいそう」なのはローダンなのだ。

数と性を正しく認識することは、格と代名詞を正しく判別することを意味する。
つまり、日本語でいう「てにをは」を正しく読み解くことなのである。
これを放棄して、正しい訳のできるわけがない。

結果:

  • 弁護してやると言いつつバルディオクを糾弾しているケモアウク(258p)
    (あれで感謝しているバルディオクはただのM)
  • バルディオクをジト目で見るアリオルク(260p)
    (芝居がかった振る舞いにバルディオクの方が目をそらしている)
  • 自分の城なのに駆けずりまわって宇宙船を“発見”するカリブソ(269p)
    (宇宙船を、帰ってきたとき置いた場所まで、つっぱしったのだ)

……といった具合に、誰が、どこで、何をしているのか、そもそも読めてない箇所が大量発生する。
特にひどい箇所を取りあげるにしても、原文(と、訳文もか)の入力だけでもまだ当分かかりそうだし、とりあえず、今回は2点にしぼって取りあげてみる。

(1) die Ebene

ハヤカワ版は、平原、と訳しているが、それがそも誤解のはじまりである。以降の訳を見ると、どこか惑星上の平原に施設が設置されており、その施設が廃墟と化していく、みたいな表現になっている。
素直に読めば、この die Ebene――“平面”と、ここでは訳す――が、虚空に漂う宇宙ステーションであることがわかるのだ。

確かに、原文にはっきり「ステーション」という表現はないが、「虚空に置かれた」とは、最初の時点でちゃんと書いてある(訳せてないけど)。
そして、5章、10章と、バルディオクたちが訪れるたびに“平面”自体がぼろぼろに壊れ、小さくなっていくことが描写され、エピローグでカリブソが宇宙空間を漂う鋼鉄の小片を「発見」した時点では、もはや疑う余地がなく、宇宙ステーションなのである。
なのに、改竄してまで、「平原」という訳語に固執しているようにみえる。ここまでくると、原作者の意図を汲むとか、そういう考えはないんじゃないかと思えてしまう。

■250p

ハヤカワ版:
 バルディオクはケモアウクといっしょに実体化した。平原は鋼の破片や分解されたがらくたに覆われている。
原文:
  An die Stelle, wo Kemoauc und Bardioc materialisierten, war die Ebene nur noch ein Fragment, ein stählernes Bruchstück mit gezakten und zerbrockelten Außenrändern.

試訳:
 ケモアウクとバルディオクが物質化した地点では、“平面”はもやは断片にすぎなかった。ギザギザに崩れおちた縁をさらした鋼鉄のかけらである。

Perrypedia の“平面”の項には、こう説明されている。

Unter der EBENE versteht man eine scheinbar frei im Weltraum schwebende Station der Kosmokraten.

「“平面”は宇宙空間を自由に漂うコスモクラートのステーションと考えられる」だ。
形状については明記されていないが、“平面”という名称と、以下の描写から、長大な四角い鋼鉄製の土台に置かれた箱庭的なものが想像される。

■142p

ハヤカワ版:
はてしなくつづく虚無の“なかほど”で時間に捕らえられ、力強いものが発する永遠のリズムの“息吹”を感じるような気がする。
原文:
In dieser schier endlosen Geraden mitten im Nichts schien die Zeit gefangen zu sein, dieses mächtige Gebilde schien im Rhythmus der Ewigkeit zu atmen.

試訳:
虚空のただなかでほとんど果て知らずにつづく直線に囲われれば、時間さえ囚われようし、この巨大な構造物は永遠のリズムで“息づいて”いるかのようだった。

エピローグでは、廃墟を一掃、とか訳してるけど、この“平面”の残骸、後日カリブソはもう一度訪れることになるわけだが……どーするんだろ。

引用したように、ペリペとか見れば、“平面”――die EBENE と、宇宙船等と同様に大文字で書かれることもあるので、《平面》でも可――が宇宙ステーションであることくらいすぐわかるのだ。実力が足りない分は、情報収集して補うとか、もうちょっとやりようがあるだろう。月2冊刊行? スケジュール? そんなん、言い訳にもなりゃしない。できると思ったから、そうしたんでしょ?
あ、前もどっかで書いたけど、松谷先生みたいな超人じゃないんだから、初見で訳そうとか無謀なことだけはしないでね?

あと、今回の訳、やたらめったら「“”」をつけての強調が乱発されているが、原文の大半はイタリックですらない。ロボットに「“肉体”」とか、körperlich の訳語の選択をまちがえているだけ。「身体」でいい。
むしろ「召喚」 der RUF を括弧付きにしない方がふしぎなくらいだ。ぶっちゃけ、今回、強調するのは“平面”と“召喚”くらいでほぼ必要十分……のはず。

(2) “召喚”の宛先

どうでもいい話だが、この原文照合をするとき、たいてい最後の段落からはじめる。
原文がどうやってストーリーを締めていて、訳者がそれをどう再現するか、に興味があるからだ。『時間超越』は、そういう意味でものけぞったもの。
で、今回である。

■270p

ハヤカワ版:
 二度めの召喚がとどいた。
 カリブソは操縦席にすわり、腰をおろす。おそらく真実はうんざりするようなものなのだろう。しかし、もうこれ以上、悪い状況にはなるまい。
 召喚の意味はわからない。
 ただ、召喚があっただけだ。
 もう七強者は存在しないのに!
 自分はガネルクではない!
 カリブソですらない!
 ただ、はるか以前から、召喚が聞こえたら、それにしたがうだけで……
原文:
  Der RUF erging zum zweitenmal.
  Callibso, der ihn herbeigesehnt hatte, sank plötzlich auf dem Pilotensitz zusammen. Die Wahrheit hätte ihn wahrscheinlich umgebracht, wenn er nicht an schlimme Rückschläge gewöhnt gewesen wäre.
  Er verstand den Sinn des RUFS nicht.
  Der RUF war ergangen.
  Aber nicht an die seiben Mächtigen.
  Nicht an Ganerc!
  Nicht an Callibso!
  Es gab längst andere, die den RUF hörten und ihm folgten.

試訳:
 二度めの“召喚”が訪れた。
 それを待ち焦がれていたカリブソだったが、いきなりパイロットシートに崩れおちた。真実を前に悶死せずにすんだのは、皮肉なことに、これまでの旅路で不遇なしうちを幾度も味わっていたからこそといえた。
 かれには、“召喚”の内容が読みとれなかったのだ。
 “召喚”は、あった。
 だが、七強者に宛ててではなかった。
 ガネルクにではなく!
 カリブソにでもなく!
 “召喚”を聞き、それにしたがうべき存在は、とうに別にいたのだった。

要するに、「もうオレたち(七強者)、いらない子だったんだ……(がーん)」というシーンである。どうしてこうなった。

「オレたち宛じゃなかった」
「後任者が別にいた」

この2点がどっちも訳せていないからだ。

前者の原因は、前置詞an(~に宛てて)。ガン無視である。
暗号通信の復号ができない、コードがすでに時代遅れのものになっていた、というカリブソの絶望はどこいったんだよ!

後者は、(というか、上記anもそうだが)原文から単語の取捨選択を不用意におこないすぎるため。
Es gab andere 「他者が存在した」という主文をさっくり削って、わざわざ意味不明にしてしまっている。この訳じゃ、なんかそのまま“召喚”にしたがってどこかへ出動しちまいそうじゃないか……。

あと、ちなみにパイロットシートにはずっと座っているはず。ふつー、発進前に制御系をチェックするときって、座ってするだろう。で、チェックが終わって待機しているんだから、いつでも発進できるよう座席にいるはずなのに。どこから戻ってきたんだカリブソ。

……。
わたしが「あらすじしか合ってない翻訳、じゃない翻案」とくさしたら、「いやそのエピローグあらすじもあってないからorz」とマガンも絶句していたのだが……。だいたい、1章1行目の「視界が開けた。」からまちがってるんだから(正しくは「見慣れた光景だ。」)、どこまで取りあげるべきか非常に苦しいところ。
とりあえず、エピローグ全体と、第1章はやるつもりだが、バルディオク裁判のあたりもすさまじいので……。

ハヤカワに喧嘩売る覚悟で(まだ売ってないつもりだったんか?)、私家版『超知性体バルディオクの起源』でも出すしかないか?(を
とにかく、『時間超越』のときにも、呆れるマガンの前でわたしは言ったもの。
フォルツ・ファン舐めんな!
6/2 マガンのセリフ等、微調整。

ps) カール大公殿下へ
掲示板の方では大変失礼しました。
ちょうどエピローグの試訳を終えて、「なんじゃこりゃ……」とorzっていたとこだったもので、ついあんな書き方になってしまいました。せっかくお楽しみになっていたところに、水を差すようなレスをつけて申し訳ありません。

Posted by psytoh