1000話「テラナー」について (3)

ハヤカワ版, メモ, 誤訳

1000話「テラナー」について、3回目である。

いきなりローダンと関係ない話でアレだが、わたしが高校生の頃、エルリックの翻訳目当てで買い始めた漫画誌WINGS(現在はウイングス)で、当時から唯一掲載が続いている大河シリーズ〈パーム〉。現在最終章『TASK』が絶賛連載中だが、それはさておいて(笑)
シリーズ中期の名作『星の歴史』中での主人公のセリフを以下に引用する。

「それは道具だ」
「見て聞いて考えて作れて移動できる便利な……」
「好きなところへ行って好きなことをやるがいい」

ムショ仲間の青年の抱える将来への不安。夢を抱いている自分は、ちっぽけで前科者で黒人ブラックで……という述懐を受けてのこのセリフ、超前向きポジティヴである。
人のからだを「それは道具だ」と言い切っているものの、表面的なところに囚われずに、内に宿した何かを理解して発された言葉であるから、実に暖かい響きだ。

一方――と、ここでいきなり話を元に戻すと――1000話「テラナー」冒頭、W・マクドゥガルの作品からの引用文は、“道具”という言葉をすこぶるネガティヴに用いている。

第2部 抗う歯車たちの肖像

「若者たちは人間が文字通り道具にすぎないと信ずることを学ぶ――その用途にかかわる、いかなる影響力もない、と。高みをめざすあらゆる希求を破壊し、すべての努力を損なうこの宿命論的ドグマに対し、わたしはおのが小さな領分において執筆をはじめて以来、一貫して抗いつづけてきた」

上記は2004年の私家版訳を少し手直ししたもの。最終回でも俎上に載せるので、原文等はその際に付記する。
ともあれ、ここで言う“人間は道具にすぎない”という表現には、人は運命の定めるところに従うしかない、という諦念のようなものを感じる。
それは、前回たどったローダンの道筋において、より高次段階の知性や機構の存在を知ったローダンが、絶えず抱いてきた疑念でもあっただろう。自分は、人類は……〈それ〉やコスモクラートの定めた道筋をなぞるだけの“道具”ではないのか――と。

そして、本書の前半、活性装置の適合者をめぐる永いながい探索においては、無数の生命が文字通り“道具”として使い潰されていたはずだ。その中では比較的“幸運”に恵まれたともいえる、2組の探索者たちの物語が中心となる。
もっともその前に、やはりコスモクラートの“道具”として、ひとりのソルゴル人がワンダラー……アムブルを訪れる。

ハヤカワ版(p140)
ジャングルを横断して村はずれまでたどりつき、そこをこえれば食料とかくれ場が見つかると期待した。

原文:
Sein Weg führt quer durch den Dschungel auf eine Grenze zu, hinter der er sich Nahrung und Sicherheit erhofft.

試訳:
ジャングルをつっきって国境をめざす。そのむこうになら、食料と安全があるはずだった。

1000話が刊行された1980年は、長期にわたったベトナム戦争が終結(75年)し、今度はそのベトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権によってカンボジアのポル・ポト派が首都を追われ(79年)、凄惨な内戦が展開されていたころである。
村の中なら安全なんてことはない。その向こうに安全があるはずの目標(境界)で、ジャングルを横断して村々の焼け跡やら戦闘やらやりすごした先にあるので、どう考えても「国境」。

ハヤカワ版(p142)
きらめく青大理石を思わせるふたつの目は、

原文:
Die Augen waren zwei strahlende Murmeln von tiefem Blau,

試訳:
両目は輝く濃紺のビー玉のようで、

「(遊戯用の)ビー玉」 Murmel と「大理石」 Marmor の読み違え。

昔見たカルフェシュのイラストは、出目金っつーかなんつーか……ペリペやぶっせんも探してみたけど、みつからなかった。
大理石の玉は、父の実家の近くに秋芳洞とかあるので、土産物として売られているソフトボールよりちょい大きめの磨き上げたやつとか連想して、わかりやすくはあったのだけど(笑)

ハヤカワ版:
カルフェシュにとっては、物質の泉の彼岸からこちら側に“派遣”されるのは、これが二度目だった。前回は二個の無調整の細胞活性装置をとどけにきた。

原文:
Carfesch war sozusagen die zweite “Sendung”, die von jenseits der Materiequellen hier ankam. Die erste hatte aus zwei neutralisierten Zellaktivatoren bestanden,

試訳:
カルフェシュは、物質の泉の彼岸からここへと到着した、いわば二回目の“送付物”だった。初回の内容は未調整の細胞活性装置二基で、

荷物のやりとりは2回目だが、カルフェシュは初物。
Die erste (Sendung) は活性装置、とあって、配達者は不明。小包だけ届いたのかもしれない。

ハヤカワ版(p143)
それをかこんで高さ千メートルにもなる、見た目は華奢な塔が何本もそびえている。

原文:
an dessen Rand ein über eintausend Meter hoher, zerbrechlich wirkender Turm stand.

試訳:
そのはずれに千メートルを超える、いまにも折れそうな高塔がそびえていた。

ein (…) Turm 単数なので1本。

というか、考えてほしい。アンブル=人工惑星ワンダラーである。アンブル=カルブシュは円盤世界中央の機械都市……そこにそびえるのは、ヒュジオトロンの塔である。

ハヤカワ版:
奇妙だ、と、カルフェシュは思った。この精神的統一体がどういうかたちでアンブルに存在しているのか、ティリクにたずねてみようと考えたことは一度もないが。

原文:
Seltsam, überlegte Carfesch, ich bin nie auf den Gedanken gekommen, Tiryk danach zu fragen, auf welche Weise sich das Leben dieser geistigen Einheit auf Ambur manifestieren kann.

試訳:
おかしなものですね、とカルフェシュは考えた。この精神統合体がどんな形でアムブルにあらわれるのか、ティリクにたずねることに思いいたらなかったとは。

いたるところに知性ある生命(単数)の存在が感じられる、のが奇妙じゃない。ティリクに「〈それ〉ってどんなんでっかー?」と質問するという、ある意味、事前情報として当然のことを自分が忘れていたことが、おかしい……といってごまかしているのだ(笑)
#私家版訳のカルフェシュはつねに敬語でしゃべる。あしからず。

ハヤカワ版(p144)
「あなたのお世話をいたします、使者。好きな名前をつけてください」
(中略)
「おまえのことは随伴者と呼ぶ」
(中略)
「“それ”のところにご案内します」

原文:
≫Ich stehe zu deiner Verfügung, Bote. Du kannst mir einen Namen geben.≪
(…)
≫Ich werde dich Begleiter nennen.≪
(…)
≫Begleite mich zu ES.≪

試訳:
「ご用命を承ります、使者よ。わたしの呼び名についてはご随意に」
(中略)
「きみを《同行者》と呼ぶことにします」」
(中略)
「〈それ〉のところまでご同行願います」

実は気に入らなくて皮肉言ってるんじゃないかと思うくらい、同根の名詞/動詞なんである(笑) できれば活かしたい。
まあ、ご同行願いますだと容疑者みたいなので(笑)、案内人/ご案内します、でもよかったよーな。

以下はヨタ話:恋愛シミュレーションのキャラ命名シーン、「好きな名前をつけてね(はあと)」とゆーのを連想した(ぁ
ゲーム開始直後だとお互いの好感度は最低なので、こんな感じに:
「おまえのことは金魚のフンと呼ぶ」
「〈それ〉のとこまで金魚のフンになりやがれこの野郎」

ハヤカワ版(p145)
“それ”の形態は、その存在のあり方から考えて、もっともむだのないものだった。

原文:
ES umschloss in knapper Form noch am ehesten das, was man hinter dieser Existenzform vermuten konnte.

試訳:
〈それ〉という名は、その存在形態について人の想像するところを、もっとも端的な形で表現しているのだ。

直訳すると――〈それ〉(という名称)には、世の人がその存在形態について想像できることが、もっとも短く、かつ最も簡単な形で、含有されているのだ、かな。なんせたった2文字だけである。日本語でもドイツ語でも(笑)

ハヤカワ版:
「出入りするだけです」曖昧な答えが返ってきた。「それも、いつもいるわけではありません」

原文:
≫Sie kommen und gehen≪, lautete die wenig informative Antwort. ≫Außerdem müssen Gebäude nicht immer bewohnt sein.≪

試訳:
「訪れては、去っていきます」と、いまひとつ答えにならない返答。「付け加えますと、建物につねに居住者がいる必要もございません」

誤訳とは言えないが、p152でこの発言がもう1回繰り返されることを考慮すると、こうしておいた方が理解しやすい。そこではカルフェシュは、〈わたしは前者(einer von der ersten Sorte)ですね〉と理解している。“訪れて”、さしあたり逗留するのだ、と。

そして、精神集合体に吸収されて“つねに居住者がいる必要も”なくなり、やがて現在時のパートで“去って”いくのだ。

ハヤカワ版(p148)
「それでおまえが派遣されたのか?」

原文:
≫Sie sollen also eingesetzt werden?≪

試訳:
「つまり、あれを使う予定だと?」

あれ(複数)が投入されるべきだということか、である。あれとは活性装置を指す。
使い道が確定したのか、という問いかけなわけだ。

さらに、本書において、2人称はすべて duzen 「du呼び」なのだ。したがってこの主語(sie)がカルフェシュを指すことはありえない。

ハヤカワ版(p149)
自分の勢力圏内に住む種族を指導し監督することはできるだろうが……それは種族全体を対象としたものだ。その一員が、わたしを助ける?」

原文:
Gewiss, ich weiß, dass ich die Völker des von mir behüteten Sektors beaufsichtigen und lenken kann – und dies ganz in meinem Sinne. Aber Individuen?≪

試訳:
確かに、庇護下にある宙域の種族を監督し、導くことは可能だ――意のままにな。だが、個人だと?」

心理歴史学をもってしても、集団は扱えても個人の行動までは予測できないのだぞ、である(口虚)

過去年表において、カルフェシュの来訪は180万年前頃と想定されている。騎士アルマダンの銀河系防衛はまだずっと先のことなので、深淵の騎士という個人がなしうる業績を知らない、と考えることもできる。
まあ、200万年前に騎士ペルマノチが火星でアインディを撃退しているとか、〈それ〉の誕生にからむ時間ループとかイロイロ考慮すると、このへんの会話が超うさんくさく見えてくるので、本書以降のネタは置いておこう(笑)

ハヤカワ版(p152)
もしかするとそのふたりは、コスモクラートが絶望的な戦いのなかで夢に見ただけの、架空の存在かもしれないのだ。コスモクラートが戦っている相手のことはほとんど知らないが。

原文:
  Vielleicht waren diese Wesen nur eine Fiktion, ein absurder Traum der Kosmokraten in ihrem offenbar verzweifelten Kampf um Dinge, von denen Carfesch zum größten Teil nicht einmal etwas ahnte.

試訳:
あるいはその存在は虚構にすぎないかもしれない。カルフェシュには大半が理解もおよばぬものをめぐる絶望的な闘いの中で生まれた、コスモクラートの不条理な夢なのかも。

わからないのは、相手ではなく、戦いの争点である。Kampf um Dinge で「モノをめぐっての戦い」で、そのモノについて、カルフェシュは予想もつかない、ということ。

現時点では、コスモクラートと対等な敵の存在すら描写されていないわけで。無限アルマダ編終盤に〈混沌の勢力〉側の尖兵が登場し、1200話で究極の謎のタネ明かしがされるまで、いろいろ不明瞭なままである。

なんとゆーか、運び屋兼メッセンジャーの仕事が終わったら、帰還(どこだか知らんが)する手段もなく、〈それ〉にパックンされるしかないというのは、あまりにひどすぎないかい(笑)
ともあれ、こうしてカルフェシュという見届け人を得た、永遠の時をかけた探索に、無数の人材が送り出される。目指すのは、いつ・どこにいるとも知れない活性装置の潜在的保持者の固有振動を探知すること。どう見ても、ハズレの方が激高確率である。

それらの中の1チームが、鳥類から進化したと思われるガルガマン人、ベリッツとチャルタである。彼らがどのような経緯でこの探索船に乗り込んだのかは不明だが、すでに長期間にわたる単調な作業のくりかえしに倦み、精神的に病みかけている。

ハヤカワ版(p155)
(前略)こんな仕事はほうりだして、自分の種族のためになることをしてはいけないのか?」
「それは敵前逃亡だ!」
「どこに敵がいる? 味方の軍勢は? 敵も指揮官も見たことがない」

原文:
(…) Warum, so frage ich dich, verschwinden wir nicht von hier und machen uns auf die Suche nach unserem Volk?≪
≫Das wäre Desertion!≪
≫Desertion wovon? Was ist das für eine Armee, der wir angehören? Wir bekommen weder sie noch ihren Anführer je zu sehen.≪

試訳:
(前略)なぜ、とそう言いたいのさ俺は。なぜここからおさらばして同胞を捜す旅に出ないのか、とね」
「脱走じゃないか!」
「脱走って、どこからのさ? 俺たちが所属する軍隊? そんなの見たこともないぜ、指揮官殿だっていやしない」

Desertion はそのまま「脱走、逃亡、職場放棄」。なにか(立場とか)を捨て去る行為のこと。“敵前”がくっついたのは軍隊(Armee)という単語が出たせいかもしれないが、2人がおこなっているのは調査であって、そこに“敵”の存在は前提ではない。
というか、チャルタのセリフ、「俺たち軍隊所属だったっけ?」くらいに訳してもいいくらいだ。

しかし、種族の所在地とか知ってたら、さっさと帰っちゃうかもしれないにしても、情報をシャットアウトして単身赴任(2人だが)とか、だいぶん外道なお話である。

ハヤカワ版(p159)
 捜索の最後でこの洞察にいたるとは! そんな想いがベリッツの頭をよぎった。
 自分にとって、捜索の旅はもう終わりだ……だが、同僚にとってはそうではない。

原文:
  Erst am Ende der Suche stand die Einsicht!, durchfuhr es Berritz.
  Und die Suche war nur für ihn zu Ende – nicht aber für seinen Partner.

試訳:
 探索が終わるとき、はじめてこの洞察にいたるのだ! そんな思考がベリッツをよぎった。
 そして、探索は彼にとってのみ終わるのであり――同僚にとっては、そうではないのだった。

たぶん、このヴィジョン(という語はハヤカワ版では消えているが)は、〈それ〉からのある種の報酬なのだろう。任を離れる者に、絶望と徒労だけでなく、自分はすごいこと(etwas Großartiges)をやってのけたんだ――という充足感を与える。別に、ベリッツに第三の目が開いたとかそーゆーのではないのだ。
そして、それが見えていないチャルタは、船を奪取して逃げるつもりではあるものの、捜索が終わることはない……という未来がベリッツには予見できたわけである。

ハヤカワ版(p160)
無理やり重層前線が形成され、そこから異宇宙のエネルギーが流れこんでいるのです」
(中略)
「重層ゾーン内では戦闘が起きています」

原文:
Es ist eine gewaltige Überlappungsfront entstanden, durch die Energien aus einem anderen Universum in das unsere eindringen.≪
(…)
≫Im Gebiet der Überlappungszone finden Kämpfe statt.

試訳:
巨大な重積前線が生じて、異宇宙からのエネルギーが流入しています」
(中略)
「重積ゾーンのエリア内で戦闘が起きています」

目くじらを立てるような誤訳ではない。最近のハヤカワ版では、重層 Überladung というよく似た単語が、主としてバリア関連で頻出しているので、ここでもそう訳したというだけのこと。
ただし、後でわかるように、これはアトランティス滅亡時点のドルーフ侵攻の描写である。バリアを複数枚重ねるのと、異時間平面が重なり合うのとは、似て非なるものなのだ。

ハヤカワ版(p162)
 チャルタはよろめきながら探知機に近づき、崩れるようにシートに腰をおろした。

原文:
  Charruta taumelte auf die Kontrollen zu und stützte sich schwer darauf.

試訳:
 チャルタはよろよろとコンソールにもたれかかった。

この時点ではシートには腰をおろしていない。だから、続く描写に「ふたたびぐったりとシートに沈み込む」とか本来ない描写を創作する必要が出てくる。「後ろざまにひっくりかえるようにシートに腰を沈めた。」なのに。

ハヤカワ版(p163)
よくもまあ、こんなに長いこと……」

原文:
Ausgerechnet wir haben es nach so langer …≪

試訳:
よりによってわれわれが、これほど長いことかかって……」

とぎれた言葉は、おそらく Zeit gefunden か geschafft. で、こーんな長い時間の後に、やりとげ(てしまっ)た、くらいだろうか。
Ausgerechnet 「よりによって、こともあろうに」が用いられているのは、この偉大な発見をなしとげたのが、探索から逃げようとした自分と、それを妨害した船のコンビであるから。あるいは、またベリッツがいないことを忘れているのかもしれない。

ハヤカワ版(p166)
「あなたに、細胞をつねに再生するマイクロ活性装置をとどけにきました」告知の第一節を読みあげる。カルフェシュは注意深く耳をかたむけた。「あなたの個体振動を細胞活性装置に転送します」
(中略)
「わたしの製造者は直接介入することができません。それゆえ、製造者の意図にそって活動できる機会を、あなたにあたえるのです」

原文:
≫Ich bin beauftragt worden, dir zum Zweck einer ständigen Zellkernregeneration einen Mikroaktivator zu überreichen.≪ Carfesch hörte aufmerksam zu, bis das Schiff den ersten Teil der Botschaft mit den Worten beendete: ≫Ich werde deine individuellen Schwingungen auf den Zellaktivator übertragen.≪
(…)
≫Mein Erbauer ist nicht befugt, direkt einzugreifen. Er gibt dir damit die Gelegenheit, in seinem Sinn zu handeln.≪

試訳:
〈わたしがうけた命令は、細胞核の常時再生のためあなたにマイクロ活性装置をわたすこと〉船がメッセージの最初のパートを次のことばでしめくくるまで、カルフェシュは注意深く耳をかたむけた。〈脳波その他を活性装置に記憶させる〉
(中略)
〈わたしの製作者には、直接介入する権限がない。かれの意を汲んで行動する機会をあなたにさずけるわけなのだ〉

訳としては正しいんだけど。手もとにあるテキスト(ハヤカワ版30巻『アトランティス要塞』)と照らしあわせるとえらくチガウのだ(爆)
つーか、このくらい、ちゃんと揃えようよ……。

かくして、第1の適合者の発見をもって、ガルガマン人の捜索の旅は終わる。
チャルタの最後の思考――候補者が活性装置を手にする前に死ねば、勝利の瞬間は敗北に転じる――は、そうなることを危惧するものか、あるいはそうなってしまえという暗い願望であったろうか。
逆境に置かれた人間が運命に抗い、夢破れて、それでも諦めきれない……というのは、フォルツの作品でしばしば見られるモチーフであるが、チャルタの生涯はどうであったろうか。“道具”にすぎない彼は、最後にその運命に一矢報いることができたのだろうか。

そして、なおも続く探索において、重要な役割を担うことになるのは、ドルイス人(※)の巨大な探索船《コルコオル=アアル》乗員唯一の生存者。「本来なら、格納庫責任者あたりがせいぜい」といわれたジンカー・ロオクである。

(※)単数はDruisで、M-87の基地のエンジニアと同じ綴りだが、複数形がそれぞれDruisen/Druisとなり、別の種族であることがわかる。まあ、ドルイサントにはしっぽも鉤爪もないか(笑)

ハヤカワ版(p171)
ファアデンワルン人

原語:
Faadenwarner

試訳:
ファアデンワルナー

元々は愛玩動物である。~人をつけて呼ぶとも思えない。
まして、ジンカー・ロオクはペットの蜂起時点の戦いの生存者である。知性があるから人間扱いとか、想像できないので。

ハヤカワ版:
ロオクはのろのろと除染シャワー室に向かい、最新の注意をはらってすべての保安装置をはずした。シャワー室はロオクが船内で制御できる唯一の場所だった。放射能にもまだ汚染されておらず、動きにくい防護服を脱ぐことができる。

原文:
Rook tappte schwerfällig zur Strahlendusche und schleuste sich unter sorgfältiger Beachtung aller Sicherheitsvorschriften ein. Das Duscheninnere war der einzige Platz in dem von Rook noch kontrollierten Teil des Schiffes, der noch nicht strahlenverseucht war und in dem der Kommandant den unbequemen Schutzanzug ablegen konnte.

試訳:
ロオクは足取りも重く放射能洗浄シャワーまで歩き、あらゆる服務規程を注意深く守ってハッチをくぐった。シャワールームはまだロオクのコントロール下にある区画で唯一、放射能に汚染されておらず、不快な防護服を脱ぐことのできる場所だった。

Strahlendusche。2004年に1000話を訳した際、最も苦慮した語のひとつがこれだった。
単語の字面だけ見れば「放射線シャワー」だが、実際にロークが浴びているのは、しめった蒸気(feuchte Dämpfe)……スチームである(だから温まる)。スーツを洗浄のため放り込むのも回転槽(Wirbelnanlage)で、ぶっちゃけ洗濯機にしか見えない。悩んだあげくに上記「放射能洗浄シャワー」としたが、全然納得はいっていなかった。

除染(Dekontamination)という言葉が日本でこれだけ市民権を得たのは、やはり東日本大震災以降のことだろう。欧米ではどうだろうか。チェルノブイリの事故が1986年であるから、1980年の時点ではまだそこまで頻繁に使用されることはなかったのではないか。
そして、放射能汚染についても、まだフォルツは認識が甘かったのかもしれない。洗えば落ちる、というものではないのである。防護服脱ぐ前になんかあるだろ、をひ。

まあ、ここが取りあげられたのは、「船内で制御できる唯一の場所」が誤訳だからなのだが。いろいろ単語を省略しすぎるから、こういうことになるのだ。
あと、それ以前に、なんで司令室にそんな設備があるんだという指摘もしておきたいw >フォルツ

ハヤカワ版(p174)
司令室にあらたに設置した防御装置を突破したにちがいない。

原文:
und sind in einer neukonstruierten Schutzvorrichtung in die Zentrale eingedrungen.

試訳:
新型の防護装備で司令室へ突入したのだ。

in die Zentrale はIV格なので、場所ではなく、進行方向を指す。
新設計の防御装備を身につけて(あるいは前面に押したてて)、司令室へ、突入した、のである。

ハヤカワ版(p176)
 報告する情報自体はわずかだが、

原文:
  Obwohl seine Informationen, die mit der Suche zusammenhingen, mehr als spärlich waren,

試訳:
 ロオクの持つ探索にかかわる情報はおそまつきわまりないが、

いま「艦長」でも、もともと下っぱなので、詳しいことは知らない。それでも、状況が厳しいことくらいは理解できる、ということだ。

ハヤカワ版(p177)
船体の表層部にある司令室からは三層階下にあるが、

原文:
genau drei Decks tiefer als die Zentrale an der äußersten Schiffshülle.

試訳:
司令室から三層階下の最外殻部にあるが、

カンマが打ってないのでわかりづらいかもしれないが、後述されているようにシャッターを開けると星空が見えるということは、観測室は船殻直下に位置するのだ。

ハヤカワ版(p178)
使えるものはなんでも使って、司令室から観測室までの距離を克服するつもりだ。自分自身の生命を犠牲にすることも厭わない。

原文:
Er fragte sich, ob er nicht unter Einsatz aller Mittel die Strecke von der Zentrale bis zum Bordobservatorium einmal bewältigen konnte. Diese Strategie kalkulierte das Opfer des eigenen Lebens ein.

試訳:
残る手段を全部つぎこめば、司令室から観測室までの行程を一度だけ・・・・ならこなせるのではないだろうか。自分の生命が失われることも計算のうえの戦略だ。

往路はあっても復路はない。ハヤカワ版、べつに何もまちがってはいないのだが。個人的に、原文でイタリックの einmal を活かしたいなあ、と思っただけだ。
あと、装備を並べつつ、いけるかな、生き延びること考えなきゃ、たどりつくだけはできるかな……と自問しているロオクはよりいっそう痛ましく見えるので。

ハヤカワ版(p181)
壁の裏にかくされた筋交いを乗りこえ、キャビンの床におりたった。

原文:
und kletterte über verbogene Verstrebungen und zerfetzte Wände auf den Boden des Raumes,

試訳:
ゆがんだ柱と裂けた壁とを足がかりに床へと這いおりた。

「歪んだ」 verbogen と、「隠された」 verborgen の読み違え。
まあ、位置的に元々は壁の裏にあった支柱=筋交いではあると思われる。

ハヤカワ版(p182)
マシン室を横切ると、その奥に非常用パイプ網のハッチのひとつがあった。
(中略)
マシン室をはなれ、船内に十二あるラボのひとつでパイプから外に出ると、ロオクはすこしほっとした。

原文:
Hinter dem Maschinenraum, den Rook nun durchquerte, lag eine von unzähligen Einstiegluken in das Notröhrensystem.
(…)
Rook war schon fast ein bisschen sorglos, als er den Maschinenraum verließ und das erste von insgesamt zwölf Schiffslabors betrat.

試訳:
横断中のマシン室を抜ければ、非常用パイプ網のハッチのひとつがある。
(中略)
マシン室を出て、全部で十二あるラボのひとつに踏みこんだとき、ロオクはわずかに気をぬいていた。

nun durchquerte 「いま横切っている」ので、まだハッチにはたどりついていない。マシン室の hinter 「後ろ」なので、通り抜けた先(ラボ)にハッチがある。そこで元ペットたちの封鎖部隊が待ちかまえていたのだ。

後の描写を見ると、このパイプ、移動は自由落下である(非常用だからか、機能停止されているのかは不明)。そして、3階層下へ移動するのに、まず1階層、次に2階層をこなしている。圧搾空気やフィールドを使用して横向きに移動できるかはともかく、必要量は2回の描写でじゅうぶん満たしている。

ハヤカワ版(p186)
〈おまえが進化を過小評価していたのは、ずいぶん昔の話だったな〉

原文:
≫Das ist lange her, du unterschätzt die Entwicklung, mein Guter.≪

試訳:
〈ずいぶん昔のことだ、きみは進化というものを過小評価している〉

「え、ここの連中原始人でしょ?」「おいおい、それずっと昔の話だから」である。だいたい、進化を過小評価していたエピソードって、ここまで訳して出てきたかい?

Guter は聖書等でいう「善き人」だが、ここではおそらく Mein guter Freund あたりと変わらない呼びかけ。シェールあたりがこういうの得意というか語彙豊富なのだが。

ハヤカワ版(p187)
〈いずれその者を呼びよせることになるだろう〉と、“それ”がいった。

原文:
  ≫Früher oder später≪, erwiderte ES, ≫werde ich dieses Wesen zu mir rufen.≪

試訳:
〈早かれ遅かれ、わたしはその存在をここに招くだろうがね〉

いずれ、というかこの後(結果的にだが)招くわけだ。
だいぶ前のめりになっているカルフェシュを揶揄していると思われる。

ハヤカワ版(p188)
カルフェシュが用心して、問題が起きないよう手をつくしたのだ……なにか起きるなら、できるだけ早く知りたかったから。

原文:
aber Carfesch hütete sich, nach den Schwierigkeiten zu fragen – er würde sicher früh genug davon erfahren.

試訳:
カルフェシュは問題点をたずねることを控えた――必要であればすぐ教えてもらえるはずだから。

直訳すると、「問題点をたずねることから、自分を守った(再帰動詞:警戒する)」、そして「まちがいなく、十分なだけ早く、そのことを知らされるであろう」。
要するに随伴者に対する信頼の証である。

かくして、第2の発見者の物語は、(読者以外の)誰にも伝わらずに幕を閉じる。
ジンカー・ロオクは、チャルタとは逆に、本来なら探索それ自体については何ら重要な役割を持たない存在であったが、“発見”という失われた同胞たちの目指した任務を、未知の“本部”へ報告できるのは彼のみという状況下において、おそらく自分自身でも想像しなかったであろう奮起を見せた。それは彼自身の生命を賭けたもので……たしかに彼は、その賭けに勝ったのだ。

“道具”……それも、本来の“用途”からは大きく逸脱した功をなしたジンカー・ロオク。彼もまた、フォルツの遺した愛すべきキャラクターのひとりである。
ちっぽけな存在が運命に抗い、やはりちっぽけな――第三者からすれば――勝利を得るというのは、フォルツの持ち味のひとつであり、やはりそういう意味でも、1000話はフォルツの集大成といえるだろう。

そして物語は、シリーズの主人公ではありながら、やはりちっぽけなひとりの人間にしかすぎない男に焦点を移す――第2の活性装置の潜在的保持者として発見された少年、ペリー・ローダンに。

「第3部 その男、ペリー・ローダン」へと続く。
GW明けあたりまでにはなんとかしたいが、ファンタスティーク大賞ノミネートとかもきそうなので、公開時期は未定ということで……。

Posted by psytoh