無限架橋 / I 蜂窩の扉
12 使徒の船
「われわれのどちらも難問をかかえている。それぞれ異なる本質のね。
――アラスカ・シェーデレーア、ヴァルカッシュの檻を開けて
どうだろう、われわれ、人生の道の一部を共に歩んでいこう。
わたしは君を、君はわたしを、まだ必要とすることもあるだろう」
クメログの船《カント》でブレーンデルに舞い戻ったアラスカ・シェーデレーア。彼に残された最後の希望は、すべての発端とも思える“トレゴンの第四使徒”の船の残骸だった。
だが、問題は《カント》自身にあった。その艦載頭脳ドロタが時折、不可解なコミュニケーション途絶状態に陥るのだ。ドロタを問い詰めたテラナーは、現在のドロタが、本来のポジトロニクス・ファゾルドックと、いにしえに滅びながら精神体――ヴェガオン・コンポーネント――として生き延びた種族ユスペロイの一員ドロタ・ボクニアーズの融合したものであることを知らされる。
ドロタのもとには、ユスペロイの再統合たる儀式ザームホルストの近いことを告げる連絡が届いていた。だが、それは《カント》からドロタのヴェガオン・コンポーネントが去ることを意味し……同時に、艦の全機能が失われることをも意味していたのだ。ザームホルストの明確な刻限は不明。だが、いつ訪れるかもしれぬタイムリミットの存在はシェーデレーアの不安をかきたてた。
目標のポジションに到着した《カント》は、残骸の周囲に無数の艦艇を探知する。ドロタはそれを、マオト人の艦隊と認識した。
マオト人――“ブレーンデルのスクラップ収集者”とも呼ばれる種族。他者にはゴミとしか思えないものにすら熱烈な所有欲をあらわにする。まれには、その秘匿物の中に無二の秘宝ともいえるものも混じっているのだが。その一例に、ヴァルカッシュの母星ラウビンの座標も含まれている。彼の種族を“延命ホルモン製造器”として密売し、マオト人は膨大な富を手中にしていた。
その彼らが、トレゴンの使徒の船――あるいはその残骸――に目をつけたのだ。見守るシェーデレーアらの眼前で、マオト人の艦隊と、残骸を積んだプラットフォームは移動を開始する。
マオト人の艦隊は、ブレーンデルでも有数の武装を施されている。彼らはその富の大半を“スクラップの山”の警護に費やしているのだ。その主星マオトックへと運ばれたものを他者が持ち出すことは、どのような手段――金の力であれ、武力であれ――不可能とされている。
だが、シェーデレーアは追跡の決定をくだした。
使徒の船に、何らかの手がかりがある保証はない。しかし、このまま、あるいは異宇宙のものかもしれぬ銀河にとどまるつもりは、テラナーにはなかった。
超空間を抜けての追跡行のさなかにも、ドロタの同胞たちからの連絡は後を絶たなかった。ザームホルストの実現に不可欠な、ヴェガオン・コンポーネントたちの主導要素ツヤンドロンの、ブレーンデルへの帰還は間近いという。
シェーデレーアにとって幸いだったのは、連絡をつけてきたヴェガオン・コンポーネントの中にマオトックの管制ポジトロニクスのひとつと融合したものがいたことだった。その教える、レーダー波の干渉しあった空隙をすりぬけて、《カント》はマオトックの地表へとひそかに舞い降りた。
ヴァルカッシュとその5人の子供たちとともに《カント》を降り立ったテラナーは、わずか前にマオトックに到着していた使徒の船の残骸へと侵入をはかる。そのとき、ドロタから異常を告げる連絡が入った。残骸の形状が、数十年前にクメログが遭遇した時点のものと異なっているというのだ。
船殻に残る亀裂から内部にわけいったシェーデレーアは、まもなくその理由を知ることになる。通路をのろのろと動く1体のロボット。それは、あるじを失った船を長いながい時間をかけて修復しつづけていた。
そう、使徒の船は死んでしまったわけではなかった。その制御頭脳〈4号〉もまた、ほとんどの機能を失いつつも、まだ生きていたのだ。
だが、《トレゴン4》の頭脳は協力を拒んだ。そのメモリーのほとんどがいまなお損壊したままであり、重要な情報が欠落した状態では、決定は下せない。また、船自体が、起動はできても操舵しうる状態になかった。
落胆しつつ《カント》にもどったシェーデレーアは、ユスペロイたちの要求が徐々に切実なものになりつつあることを知る。ドロタもまた、主導者ツヤンドロンと同じくザームホルストに欠けてはならない要素だというのだ。だが、その通信は《カント》の存在をマオト人に暴露してしまう結果となった。
牽引ビームでがんじがらめとなった《カント》。すでに上空はマオト人の艦隊によって封鎖されている。彼らは“盗賊”の存在を許しはしない。ぎりぎりの状態で、シェーデレーアはマオト人の気をそらす、ひとつの妙案を思いつく。
マオトックをザームホルストの場とするのだ。
数千年前、未知の侵略者の猛威の前に、異なる存在形態となることでしか生き延びることができなかった種族ユスペロイ。ヴェガオン・コンポーネントとなった彼らの大半は、宇宙船のポジトロニクスに憑依する形でこれまでの歳月を生きつづけてきた。
その彼らが、突如、大挙してマオトック上空に集結したのだ。
そうして、出現する巨大な黒い円盤――ツヤンドロン。
エネルギーの嵐に、マオト人の艦隊は行動を封じられる。そして、それがツヤンドロンの周囲で時空を揺るがす大渦巻へと変じるにしたがって、ユスペロイの次なる存在形態への跳躍をもたらす“何か”が、マオト人自身を奇妙な放心状態としていた。
それを目撃するシェーデレーアもまた、別の意味でわれを忘れていた。彼はツヤンドロンを見たことがあったのだ! 数十年前、ハマメシュの銀河ヒルドバーンで。中枢部エンドレッデ・エリアを包む遷移バリアが消滅したとき、テラナーたちの目前で飛び去った謎の飛行物体は、まさしく眼前の黒い円盤であった。
その事実は、異郷に島流しとなった彼の心に、わずかな希望の火をともした。ツヤンドロンがどのような旅を後にしてきたのかはわからない。だが、それでも、シェーデレーアの長い人生の中で通りすぎてきた世界とのわずかな接点が存在したのだ。いつの日か、彼は銀河系に帰ることができる、と。
ザームホルストが実現すれば、ドロタは、そして《カント》は失われる。マオトックからの脱出には、別の手段を用いなくてはならない。
それはひとつしかない――《トレゴン4》だ。
使徒の運命を解き明かし、トレゴン――それが何であれ――との連絡を回復することを条件に〈4号〉を説得したシェーデレーア、それにヴァルカッシュたちは未知の技術の塊《トレゴン4》でマオト人のスクラップ惑星を離脱する。一瞬、わずかにドロタからのコンタクトがあったような気がしたが、まもなくそれも去った。
正直、シェーデレーアにはドロタたちの行く末に注意をはらう余裕はなかった。次第に放心状態から回復しつつあったマオト人たちの艦隊から、数隻が追跡を開始していたのだ。不完全な駆動系で、直進しかできない使徒の船では、逃走が成功するか、予断を許さなかった。
超空間を抜けて、《トレゴン4》は自由へむけて疾駆していた。
転送装置の修復が終わっていないため、象ほどもあるヴァルカッシュだけは外殻に“係留”した形ではあったが、事前に製造してあった“宇宙服”のおかげでなんとかなった。マオト人の艦が付かず離れず追ってきてはいたが、島宇宙を横断するうちに、1隻、2隻と脱落しつつあった。
だが、予想外のできごとが起こったのだ。ボック――あの修理ロボットが、外殻に係留されたヴァルカッシュを“異物”と認識し、排除にかかったのだ。
友を超空間に転落させるわけにはいかない。通常空間にもどって、ボックを制止にかかるシェーデレーアたちを、マオト人の砲火が襲った。
そして、シェーデレーアは見たのだ。ヴァルカッシュが、最後に残った係留具を自らひきちぎり、自由空間へと転落していくのを。一瞬後、集中したエネルギー線がヴァルカッシュを炎へと変えた。
《トレゴン4》は、再び超空間を切り裂いて飛行していた。
マオト人の猛攻を生き延びたのは、テラナーと、ヴァルカッシュの5人の子らのうち、ラナグとシープの2人だけだった。
彼らからシェーデレーアは、友ヴァルカッシュの最期の言葉を聞かされる。
「わたしはシェーデレーアに借りを返す。生命には生命を」
確かに、彼はヴァルカッシュをブレーンデルの殺戮者たちの拷問から救った。だが、それは死をもって報いるほどのことだったろうか?
彼にはわからなかった。わかるはずもなかった。
そうして、その間にも、使徒の船は一直線に飛行をつづけていた。