無限架橋 / I 蜂窩の扉
12 銀河よ、ひとつになれ
ヒューマニドロームとロクフォルト陥落の凶報は銀河系を駆け抜けた。これまで、トルカンダーの侵攻を対岸の火事としか見ていなかった多くの人々も、形骸化して久しいとはいえ、ギャラクティカムの中枢が占拠されるに及んでは、事態の深刻さを認識せざるをえなかった。
ハリネズミ船の猛攻に屈した世界は100に達しようとしている。いまなお、きょしちょう座47に集結する13万隻が、同様の厄災をもたらすとしたら……銀河系に安全な場所などありはしなかった。
だが、同時に、目端のきくものたちは、侵攻の奇妙な法則性にすでに気づきはじめていた。占拠された惑星は、ロクフォルトのようなわずかな例外をのぞいて、ごく狭い宙域に集中していた。半径約8000光年の球状エリア。そして、その中心には――。
あるものは安堵のため息をつき、あるものは戦慄をおぼえながら、そしてまた、あるものはひそかにほくそ笑みつつ、その事実を確認するのだった。
テラ。
トルカンダーは、明らかにソル星系を攻囲しつつあるのだ。
新銀河暦1289年1月の段階で、銀河系で最も安全な場所とされていたのは、いまや巨大なカジノと化した《バジス》であった。その強力なジェネレーターは、タングル・スキャンの射程圏たる2光秒をうわまわるレンジのパラトロン・バリアをはりめぐらすことが可能。なによりベデン星系は、トルカンダーの16000光年の球状宙域のはるか外にあった。
多くの人々が、雪崩をうって、かつてのローダンの旗艦へとおしよせた。もちろん、バリアの庇護下に入れるのは、そこで遊興に耽る財力のあるものに限られたが。
恐怖におののく銀河系の中で、《バジス》は別世界だった。しかし、そこはまた同時に、分裂した銀河系の縮図そのものでもあった。誰も知らないところで、陰謀は蠢いていた。
レベッカ・デモンは1年前から《バジス》に勤務している。
現在の彼女の立場は微妙だった。彼女の上司にあたる部門長エンゲレクが、キャメロット・ビューローの爆破と前後して不可解な死をとげてから、5人の部門長には欠員が生じている。レベッカはその後継のひとりと目されていた。
そうして、彼女はまた“クララ”のコードネームを持つ、TLDのエース工作員でもあった。謎につつまれた《バジス》のオーナー〈ディレクター〉との接点をもつ部門長に選出されることは、二重の意味で重要だった。
彼女が2年前から追いつづけているシュプールは《バジス》に通じていた。それは、巨大カジノを中心に、ギャラクティック・ガーディアン――モノス時代からいまなお残る闇のシンジケート――が陰謀の網をはりめぐらせていることを示唆するもの。《バジス》で絶大な権限を有する部門長たちのいずれか、あるいはディレクター自身が、炉座銀河へと本拠を移したガーディアンと協力関係にあるかもしれなかった。
しかし、彼女の懸命の捜索にもかかわらず、関係者たちは次々と不可解な事故死をとげていく。彼女とともに潜入した工作員デンカン、組織の始末屋エンケレディ、そして、おそらくはギャラクティック・ガーディアンの首魁のひとりである超重族モンジャクチャ。
あるいは、ディレクターはすべてを看破しているのか?
だが、モンジャクチャの死の翌日、姿を見せぬディレクターからの指令が届いた。
レベッカ・デ・モンは《バジス》を管理する部門長のひとりに選ばれたのだ。
その間にも、トルカンダーは地歩を固めていった。タングル・フィールドに包まれた惑星は200を超えた。
アルコン人アトランは、キャメロットの代表として、銀河の有力種族の共同戦線をはるべく説得につとめていたが、結果はおもわしくなかった。そんな中で、フォーラム・ラグルンドが突然に会談に応じるとの連絡をもたらしたのだ。
正直、昨年末の惑星トロカンをめぐるラグルンド代表団との確執を思い出して、容易に信じる気にはなれなかった。まして、今回の決定の背景には、フォーラムの“影の支配者”と目される秘密情報機関の長、シェボパル人パルネベロファズ・デナイレック――通称“チーフ・デナイ”――の意向が大きいらしい。
しかし、何らかの陰謀が企まれているとしても、アルコン人には他に選択肢はなかったのだ。LFT、ラグルンド、そしてキャメロットの代表者による会合は、フォーラムの本部が置かれた、イーストサイドはアンザット星系の惑星ラグルンドで開催されることとなった。
キャメロットでは、侵略者への対抗手段の開発が不眠不休で進められていたが、いまだこれといった成果は挙がっていない。
マイルズ・カンターの5次元中立相殺装置は、実戦でも一定の結果は出したものの、ハリネズミ船のストッター・エンジンのアルゴリズム解析に時間がかかりすぎ、決定打とはなれずにいる。
タングル・フィールドを中和する装置の研究は、事実上頓挫していた。これまでハリネズミ船の実物が入手できたのは、1度だけ。それも時限装置による核火災で充分な調査もできぬうちに失われた。理論の土台になるものが存在しないのだ。
アトランにとってわずかな希望であったのは、かつての《バジス》科学チームからキャメロットに加わった異生物薬学者アルフェ・ロイダンの“IQ抑制剤”だった。これは、タングル・スキャンに対する免疫を人工的に創り出す研究である。ラファイエットの例から、知能に障害のある人間がタングル・スキャンに耐性をもつことが推測された。ロイダンのIQ抑制剤は、薬物によって一時的に知能を一定度低下させることで、意志力を破壊する走査波の効果を免れようというものだった。
ただし、これも臨床実験が不可能なことから、机上の空論とみるむきもあった。ロイダン自身が、試薬は完成にはほど遠いと言明もしていた。それでも、徒手空拳でハリネズミに挑むよりははるかにましだと、アトランには思えた。
そして、会合当日がやってきた。
アルコン人の予期したとおりの議論が展開された。最も危険にさらされているLFTが最も防衛費を負担すべきだ云々……。キャメロットのポジションを公開しろという意見もあった。
むろん、それで解決するような問題ではない。フォーラム加盟種族の間に根深く残る、テラ、アルコン主導の歴史に対する反感のあらわれにすぎないからだ。第一テラナー、パオラ・ダシュマガンは、今後の戦費の7割をテラで負担する用意があると回答したが、議場の空気に変わりはなかった。
議論が尽きるのを待っていたかのように、チーフ・デナイがあらわれたのはそのときだった。フォーラム代表として席についている者たちでさえ、このシェボパル人の姿を見たことがあるものはほとんどいなかった。それほど彼は裏の存在に徹していたのだ。
そして、裏の世界に生きるものだからこそわかることもある。チーフ・デナイは、たとえテラを滅ぼしたところで、トルカンダーの侵略が止まるはずもないことを、ラグルンドの誰よりも理解していた。この戦いはギャラクティカーか、トルカンダーか、どちらかが存在をやめるまでつづくだろう。そして、勝つのはトルカンダーだ。
――
銀河二強の一と目されるLFTの艦隊をもってしても、ハリネズミの侵攻に対して防衛が成功したのはヴェガ星系でのみ。それも、キャメロットの支援があっての話だ。
テラが潰え去ったのちに、ラグルンドだけでトルカンディアからの侵略者に立ち向かうすべなどありはしない。それゆえ――たとえ一時的にでもいい――手を握る。それがチーフ・デナイの出した結論だった。
さらに、シェボパル人は列席する人々の予想もしない事実を開陳した。
きょしちょう座47に武力偵察におもむいたウニト人の艦隊が、ひとりの捕虜を連れかえっている。偶然……ほとんど奇跡といってもよい確率でラグルンドの手中に落ちたトルカンダーは、自殺を防ぐため即座に深層睡眠状態に置かれた。
フォーラム・ラグルンドはこの捕虜――アラザーを、テラとキャメロットに引き渡す用意がある、と。
《ギルガメシュ》で深層睡眠を解かれ、尋問をうけたアラザーは、多くを語ることなく死亡した。トルカンダーが自らのホルモン分泌を調整して、体内で毒を造り出すのを止めることは、キャメロットの医師たちにも不可能だったのだ。
しかし、わずかではあったが新事実はあった。
これまでトルカンダーには、ニーザー、ギャズカー、アラザー、エロウンダーの4種族が存在することが知られていた。アラザーの言葉は、ヴィヴォクを護るエロウンダーのさらに“上”の存在を示唆していた。
そしてまた、エンジニアであるアラザーは、ヒューマニドロームが“ヴィヴォク倉庫”として最適であることを明らかにした。ステーションの有する何らかの5次元波動が、ヴィヴォクに良い影響を与える、と。それゆえのロクフォルト侵攻だったのだ。
あるいはヒューマニドロームに残るナックの遺産が原因なのか……。アラザーの言葉を反芻しつつ、アルコン人の心はすでに決まっていた。
テラ、ラグルンド、キャメロット――三者同盟艦隊の最初の目標は、スカルファール星系ロクフォルト……そして、ヒューマニドロームだ。
新銀河暦1289年2月20日、スカルファール星系から500光年の宙域、コードネーム=ポイント・サヴァイヴに集結した3000隻の艦隊から、500隻が先発してロクフォルト近傍へと進出する。中核は5次元中立相殺装置を搭載したキャメロットの巡洋艦隊だが、同盟種族の意向もくまねばならず、雑然とした構成の部隊だった。
そして、彼らはヒューマニドロームが難攻不落の城塞と化していることを確認した。惑星ロクフォルトとヒューマニドロームは、宇宙空間へと40万キロメートルまで拡大されたタングル・フィールドの庇護下にあったのだ。
500隻を分割した波状攻撃で、ハリネズミ船の小部隊をフィールド圏外までおびきだすことには成功したものの、その鹵獲には失敗。作戦はふりだしに戻ってしまった。
タングル・スキャンを無害化する手段がなければ、ようやく成った同盟も、まったく無意味なものに終わる――焦燥するアトランのもとに、1通のメモが届けられた。まもなく合流する1隻の艦艇からの通信。
電文は短かったが、センセーションを呼ぶに充分なものだった。
「われ、ハンガイより帰還せり。
キャメロットからの朗報を携えてきた。
――ロナルド・テケナー」