無限架橋 / I 蜂窩の扉
6 《カント》は死を乗せて飛ぶ
「いまここで、興奮してわたしのことを論議している5人の不死者、
――1220年、ハナー・デストヴィッチ・ペーレル、死の床で
そのひとりは、はてしない孤独を味わうだろう。
ティフラーよりも孤独。そして他のものたちは……。
かれらは正しき道を行かねばならない。その果つるところまで。
炎をくくり抜けねばならない。燃えさかる炎を。
ヴィジョンがひらめくごとに、いっそう克明に見えてくる橋の上で……」
《カント》は超光速で疾駆する……魔人クメログの本拠たる、ブレーンデル銀河の小惑星クリンカーまでの200万光年を翔破する。
20日あまりの行程は、すべてファゾルドック――「けちなブリキ箱」――とクメログの呼ぶ艦載ポジトロニクスと、66年前にクメログによってプログラムされた自動機構が運行していた。みずからに憑依した魔人の〈皮〉を逆に支配下に置いたアラスカ・シェーデレーアではあったが、未知のテクノロジーとあいまって、それに手を出すことはできなかった。
クリンカーから増援を連れてこい――あるじクメログの指令に〈皮〉を帯びし者がそむくわけにはいかない。ファゾルドックがどう反応するかわからないのだ。
たとえ、66年という歳月に“ブレーンデルの殺戮者”たちが死に絶えていようとも。
バオリン=ヌダの武器庫へ……彼の同胞のもとへ帰るためにシェーデレーアに残された手だては《カント》しかないのだから。
小惑星クリンカーは、ファゾルドックの放った認識信号に応答を返してきた。
殺戮者は、いまもなお存続していたのだ。
そして、宙賊の基地に降り立ったシェーデレーアは4人の〈皮〉憑依者に迎えられる。
クメログの腹心であったウナン=キュール族の科学者ヴァイクール。
工学スペシャリストのゴンゼロル。小人種族ブリッブの出身。
殺戮者随一のパイロット、カイデッセルはハルト人のミニチュアのよう。
三本腕の昆虫種族は、整備関係の責任者ゼッテランだ。
彼らは旧殺戮者の中核だった。……〈皮〉の記憶が正しければ、とうにその命数は尽きているはずの、自らの意志を持たぬクメログの忠臣たち。
そして、彼らは一様に、あからさまな不信の目をもってシェーデレーアを迎えたのだ。
〈……きみが一番若い皮を帯びているからだ〉
不意に、シェーデレーアに憑依した〈皮〉からのインパルスが、そう告げた。
〈皮〉にも序列が存在するのだ。若い〈皮〉ほど有力。
シェーデレーアの〈皮〉は、クメログが《カント》でバオリン=ヌダの武器庫へと出発する直前に脱皮したもの。……したがって、一番上位に位置する。
66年の空白の後に、突如としてクメログの指示を携えてあらわれた〈皮〉憑依者。
しかも、この場で命令をくだす権限は、かれにある。
他の〈皮〉を帯びし者たちの疑念も当然のことだった。
同時にシェーデレーアは、改めて自分の危険な立場を認識する。イニシアティブをもつのが〈皮〉でなくテラナーであることを、決して悟られてはならない!
《カント》をオーバーホールする間に、シェーデレーアはクリンカー内部を案内される。
〈皮〉の記憶と比べて、さほど変化があったわけではない。
66年前には10名余いた〈皮〉憑依者も大半が鬼籍に入り、それ以外の構成員はすべて死に絶えた。それでも、現在も10数名のならず者がクリンカーに集まっていた。
組織固めのためにクメログを半神と崇める宗教がかった体制が整えられた以外、ブレーンデルの殺戮者は殺戮者以外の何者でもなかった。
彼らの行動原理は――殺し、奪い、破壊する。それだけだ。
そしてクリンカー奥深く、シェーデレーアは奇妙なものを発見する。
檻に閉じ込められた、1体の動物。小柄な象ほどもある体は、やはり象のそれに似た硬い皮におおわれており、アリクイを思われる小さな頭部だけがクリーム色の毛皮につつまれていた。
餌も満足に与えられず、殺戮者たちによって体中に傷を負わされたこの動物を、ヴァイクールはヴァルカッシュと呼んだ。そして、「われらが霊薬」とも。
苦痛を感じた際にヴァルカッシュの分泌するホルモンを精製した薬液が、本来ならばとうに寿命の尽きている4人の〈皮〉憑依者の肉体を生かしつづけているのだ。
一見鈍重な動物に見えるヴァルカッシュであったが、実はブレーンデルの共用語ブレーンを解し、用いることができるほど高い知性を有することを知ったシェーデレーアは、いつかその幽囚の立場から解放することを約束する。
2日後、わずかばかりの人員をクリンカーの維持のために残して、《カント》はバオリン=ヌダの武器庫へと出発する。4名の〈皮〉を帯びしものすべてと、彼らの生命をつなぐヴァルカッシュの牢もまた、クメログの船へと座を移していた。
殺戮者の小惑星から超技術の武器庫までは、およそ21日の行程。
シェーデレーアは折をみて、ヴァルカッシュに十分な食糧をとらせることに腐心した。
武器庫へと入るために、おそらく〈皮〉憑依者たちの協力が必要な現在、彼らの生存をおびやかすような行動はとれない。それはシェーデレーアにみせられるぎりぎりの好意であった。そして、ヴァルカッシュはそれを理解してくれたらしかった。
自らの素性をいつわったテラナー以外には、この旅はすこぶる退屈なものだった。
カイデッセルが死ぬまでは。
《カント》をあやつれる、おそらく唯一のパイロットは、ただ死んだのではなかった。
殺されたのだ。それも、肉体をずたずたにひきさかれて。
まもなく、殺戮者の中でも怪力で知られるマハムートもまた、同様の惨状で発見された。他の乗組員で、これだけの凶行におよべるものは……存在しない。
2人の遺体を投棄するためでかけたホボンが犠牲になるにおよんで、姿なき殺人鬼に対する恐怖は《カント》の空気を一変させた。無法者たちは、自分たちが理不尽な凶行にさらされることに馴れていなかったのだ。シェーデレーアは配下のものたちを食堂に集合させ、最低2人1組で行動するよう厳命した。
その一方で、彼はファゾルドックの教育プログラムによって、《カント》の操縦法を学ぶことにした。虚空で立ち往生するわけにはいかない。
また、それはシェーデレーアにとっても好都合なことではあった。いつか《カント》を独力で動かさざるをえない時がくることは、ある程度、計算に入れずにはおれなかったからだ。
しかし、それは思わぬ結果をも招いた。
ファゾルドックが、シェーデレーアの秘密に気づいたのだ。
《カント》はクメログの船。
しかし、おそらくはいずこかで略奪したものであろう。
そしてまたファゾルドックも、144年前に、ある種族のもとから強奪されてきた。
ゴンゼロルによって《カント》に設置されてはみたものの、収奪の際にブロックされた機能はついに回復しなかった。クメログとゴンゼロルは当面できること以上を望まず、だから、ファゾルドックが管理するのは司令室近辺と駆動系をのぞけばごく一部だった。
ファゾルドックは、それでよしとしていた。
それ以上、自らを盗んだものたちに協力したくもなかった。
「ファゾルドック」と呼ばれるたびに、自らが悪用されていることを再確認する。
かつての主人のもとでは、ポジトロニクスは「ドロタ」と呼ばれていた。
そしていま、ファゾルドック――ドロタは、自らを解放しうる存在をみつけたのだ。
シェーデレーアはおのれの奇妙な運命に失笑せざるをえなかった。
〈皮〉に囚われ、故郷を遠く離れた世界で、友と呼べるものは虜囚の身であるヴァルカッシュとポジトロニクス・ドロタのみ。彼をクメログの代理と崇め、したがうものたちは、テラナーの正体を知れば一転して、かれを虐殺するだろう。
……ちょうどいま、姿なき殺人鬼がしているように。ファゾルドック=ドロタの協力のもと、シェーデレーアはそれをみつけねばならない。
シェーデレーアはドロタの訓練をパーフェクトに修了し、現在の超光速航程が終わりしだい、テラナーがコントロールをひきうけることになった。
だが、最終チェックのため不用意にひとりで機関区を訪れたゴンゼロルは、二度ともどらなかった。やがて、前の3人同様、微塵に裂かれた死体が発見される。
疑心暗鬼に陥ったヴァイクールとゼッテランは《カント》内のドロタの目のとどかぬエリアに姿をかくした。
そして、さらに2名が犠牲者となる。ふたりは武器を携行していたが、それを使う間もなく殺されていた。
また、ヴァルカッシュのもとを訪れ、昏々と眠る友が無事であることを確認した帰り道、シェーデレーアは殺戮者のひとりギールサゲが錯乱し、銃を乱射しながら通廊を走り去るのを目撃する。ギールサゲを追っていたツメドとともに通路の角を曲がり……ふたりは、虐殺の後をみつけた。わずか一瞬の間のできごとだった。
ドロタは、シミュレーションの結論として、数体に分裂できる小型ロボットという案を提出した。
《カント》には、ファゾルドック=ドロタの管理外にある領域が無数にある。むしろ、その方が広いといっていい。そのどこかにあった殺人ロボットが、なんらかの原因で起動したということは、大いに考えられた。
まもなくヴァルカッシュの檻のそばにある延命薬精製器のところで再会したヴァイクールも、おなじ考えに達していた。ただ、ウナン=キュールの科学者は、その殺人マシーンを起動したのがシェーデレーアであると疑っていたのだが。
とりあえず2名の〈皮〉憑依者と妥協して戻ったテラナーは、さらにふたりの殺戮者が死亡したことを知らされる。しかも、犠牲者は食堂で不寝番をしていた当人たちだった。
犯行者は、どうやら空調設備や整備通路などを通って《カント》内部を自在に移動しているらしい。ごく小さな存在だ――小型ロボットという案を肯定するくらいに。
もはや生存者は、ヴァルカッシュを数に入れてわずか7人。
そして、《カント》はバオリン=ヌダの武器庫へと最後の超光速航程に入った。
さらなる2名の犠牲者を生んだ飛行が終わり、《カント》はバオリン=ヌダの武器庫に到着した。
パッサンタムを持たぬ自分を武器庫が容れるか、シェーデレーアは確信がなかった。そして、その疑念は現実のものとなった。彼らは、かつてクメログのみつけたフォームエネルギーのエアロックを発見することができなかった。あるいは、それも無意識のうちにパッサンタムに導かれてのことだったのかもしれない。
無線でのコンタクトに応答はなく、分子破壊砲の点射によっても何の効果もない。
いきづまった――気持ちのゆるんだ瞬間、シェーデレーアはミスを犯した。
ふたりの〈皮〉憑依者の前で、ポジトロニクスに「ドロタ」と呼びかけたのだ。唯一ファゾルドックの真の名を知るヴァイクールにとって、それは裏切りの告白と同じことだった。
彼とゼッテランの銃口が、偽りの〈皮〉憑依者にむけられた。
次の瞬間に起こったことを、シェーデレーアはまるでスローモーションのように見ていた。
隣室に通じる扉から、5つの小さな影が飛びこんできた。
60センチほどの存在は、稲妻のようなすばやさでヴァイクールとゼッテランにとびつき、息の根をとめた。するどい爪が、ふたりをひきさいた。
最後に残った殺戮者ツメドが恐怖の叫びをあげて部屋を逃げだした。
しかし、シェーデレーアは逃げなかった。逃げることができなかった。
彼は、5つの小殺戮者たちに見おぼえがあったのだ。灰色の肌。クリーム色の毛皮に覆われた頭部。黄色い眼。
……
小殺戮者たちが何か命令をうけたように、いっせいに走り出した。
主通廊をゆっくりと駆けていく彼らの後をシェーデレーアは追った。その行く先は、ヴァルカッシュの檻のある格納庫以外考えられない。
そして、テラナーは小殺戮者たちがヴァルカッシュの胸の亀裂へと姿を消すのを見た。
小殺戮者……ヴァルカッシュの子供たち。
ブレーンデルの殺戮者たちは、ヴァルカッシュが子を孕んでいることを知らなかった。故に、出産に必要なエネルギーを得ることも許さなかった。
シェーデレーアのおかげで、はじめてヴァルカッシュは充分な食糧と休息を得ることができた。未熟な胎児たちは、いまだ自我も発達していなかったが、ヴァルカッシュの命令にしたがって、親をその悲惨な境遇から介抱するに足る能力を持っていたのだ。
ヴァルカッシュの語る「正当防衛」に釈然としないものを残しながら、シェーデレーアはその行為を黙認することに決めた。
ブレーンデルの殺戮者たちの末路を悼むには、彼自身の運命が明らかでなさすぎたのだ。
バオリン=ヌダの武器庫はシェーデレーアを拒絶した。
それは、かれにとって、帰還の道が途絶したことを意味する。
絶望するテラナーに、ドロタ――もはやファゾルドックではない――が光明をしめした。《カント》のポジトロニクスには、66年前クメログが武器庫を訪れるきっかけとなったできごとの起きた場所が記憶されていた。
トレゴンの第四使徒の船。正確には、その残骸の座標が。
はたして、それが手がかりと言えるものか。残骸がまだそこにあるかすら、さだかでない。しかし、シェーデレーアにとって、ほかに道はなかった。
《カント》はブレーンデルにむけて、ふたたび200万光年の道程についた。