無限架橋 / I 蜂窩の扉
8 戦慄のレゾナンス
彼は戦士。ギャズカーの戦士。
名はゲムバ。ゲム=バ=アム=コル=ヴェク=トル、略してゲムバ。
これは、正しくは名前ではない。
彼が「トルカンディア銀河の
重要なのは、アムクリルから発したジク艦隊が新たな銀河での任務についたこと。
先行したニーザーからの報告によると、この銀河の知性体は、すこぶるレゾナンスに富む、優秀な“ボンド”であるらしい。そして、すでにいくつかの惑星をスキャンし、選別したという。
それを確保するのが、彼らギャズカーの任務。
後につづくアラザー、そして聖なるエロウンダーのために。
彼らギャズカーは、それ以上に重要な使命を知らない。
ゲムバは、これが初陣だった。だが、彼の乗る戦艦《ジク=アー》は、目標直前で現地種族の艦艇の強襲を受け、大破し、惑星へと落下していった。同乗する全ギャズカーの動揺がゲムバの中を駆け抜ける。使命を果たせぬ戦士――なんという不名誉!
炎上する《ジク=アー》から、救命泡で脱出するゲムバたちギャズカーの戦士。
しかし、彼らの降下していく先は、底無しの沼沢地だった……。
密林を、すでに何週間歩きつづけただろうか。
惑星ラファイエットはジョゼフ・ブルサードの故郷。それでも、そのジャングルと沼地とは、敵意をむきだしにしたハザードでしかない。しかも、タングル・フィールドの影響で、平時なら人間の居住圏にあらわれることのない猛獣たちも闊歩しており、危険度はいやますばかりだった。
侵略者の卵型艇の目を逃れて、ジョゼフとペペ、そしてロボットのバニーは、ひたすら首都スワンプ・シティをめざして進んでいた。だが、脳にうけた損傷によって制限されたジョゼフの悟性でも、ある可能性に気づかずにはいられなかった。
なぜ、スワンプ・シティは沈黙しているのか? この数週、バニーは人間による何らの活動も探知できずにいる。いっさいの通信波もなし。
あるいは、なにもかも手遅れなのか――?
そのとき、上空で爆音が轟いた。密林にさえぎられた不十分な視界を、煙をひいて降下していくハリネズミ状の艦艇が横切っていった。そして、チカチカと陽光を反射させる救命泡の群れ……。
最も近い落下点へと駆けつけたジョゼフらは、しかし、底無し沼へと沈没していくカプセルをなすすべもなく見つめているだけだった。残虐な侵略者にはお似合いの末路だ、とうそぶいてみても、苦いものがこみあげてくる。
そうして、惑星首府への道へもどりかけたとき、バニーが岸にほど近い場所に落ちた脱出泡を発見した。軟泥に沈みゆくカプセルは、開かれていた。
背後で物音。
ふりかえったジョセフは、見た。
タングラー……侵略者の姿を。
直立歩行する巨大なカブトムシを思わせるそれは、弱々しくうごめいていた。
ゲムバは死んでしまいたかった。
救命泡には、最低限の装備すらなかった。確保すべきエリアで果たすべき任務を遂行するはおろか、失敗した戦士にふさわしく自害するためのナイフすらなかった。
彼の名誉は無に帰した。しかも、ゲムバは異種族の虜となった。くつがえしようのない不名誉だった。
だが……彼らはボンドだ。ニーザーが確保しきれなかったボンドを、その香網内部へと連れもどすことは、あるいは種のためになるかもしれない。
ゲムバは、当面、自らにそう言い聞かせた。
タングラーの発する語彙を蓄積したバニーを仲介者として、ジョセフらはゲムバとの意志疎通になんとか成功する。わかった事実はごく少なかった。ゲムバ自身がほぼ何も知らないに等しかったのだが、これはどうやら情報統制というより、一種の共感状態で生活するギャズカーにとって、指令以外の情報を知らせる必要がなかったためらしい。
それでも、侵略者たちのごく大まかな枠組みだけはジョセフにも理解できた。卵型艇の偵察者ニーザー、ゲムバら確保を任務とするギャズカー、技師アラザー、そして“ヴィヴォクを運ぶ”がゆえに聖なるエロウンダー。4つの種族が共同体として働いているらしい。
これ以外に、ボンド、“レゾナンス”という、どうやらギャラクティカーを示唆するらしい表現がくりかえし聞かれたものの、その意味するところはジョセフにも理解できなかった。
ジョセフの不安をよりいっそうかき立てるのは、スワンプ・シティが近づくにつれて、次第にその頻度をましていく、ゲムバの発する不快なきしり声だった。
それは、惑星首府に何が待つのかを予感させた……。
時をわずかにさかのぼった、銀河中枢部の惑星ハルト。
ここ十数年、イホ・トロトはキャメロット運動を離れ、おのが宇宙船の建造に没頭していた。そして、新しい船《ハルタII》が竣功したおりもおり、彼を見舞ったのは……衝動洗濯!
内なるものに突きうごかされ、ハルト人は船の目標をさだめる。
おそらくは、いま銀河系で一番危険な冒険の待つ世界。
ラファイエットへと。
トロトの到着と時をおなじくして、アトランの《リコ》もまた、ラファイエット近傍に出現していた。同行していたグッキーが、ハルトの友を感知してテレポートしてくる。
2隻の接近を知ったハリネズミからも、同数の艦艇が進路をはばむ。だが、タングル・スキャンを持たない戦艦タイプであったことがギャラクティカー側に幸いし、《ハルタ》の斉射が侵略者の船を一瞬にして蒸発させた。
アルコン人がボーソレイユの惑星にやってきた理由は2つ。
ラファイエットを包むタングル・フィールドは、どうやら斥候タイプのハリネズミ船が使用するタングル・スキャンと同種のものらしい。では、それは惑星を包むバリアとして機能しているのか……それとも、惑星それ自体が力場の影響下にあるのか。
そして、ラファイエットにあった人々の運命は――?
まず、トロトの《ハルタ》が無造作にタングル・フィールドに接近する。
銀河系最強を誇るハルト人の肉体は、不協和音をともなうハイパー・フィールドをなんなく克服したかにみえた。
しかし、トロトも、そしてアトランもまったく失念していたのだ。
いまの《ハルタ》には、誰よりもタングル・スキャンに敏感に反応する存在――グッキーが搭乗していることを!
《ハルタ》がタングル・フィールドの影響圏内に突入した瞬間、猛烈な苦痛に見舞われたイルトは、ハルト人とともにテレポートした。
……だが、安全圏にあった《リコ》に、ふたりは現われなかった。
残された可能性は――ラファイエット!
スワンプ・シティに接近しつつあったジョセフとペペは、ニーザーのパトロールに発見されてしまう。かろうじて逃走に成功したものの、その際、自らおとりとなったバニーを失うという手痛い打撃をうけた。
ジョセフは、信じたくなかった事実――ラファイエット唯一の都市はタングラーの手中にあることを認識せざるをえなかった。それでも、ふたりはもはや、進むしかなかった。
キャンプ・ミラージュから逃げ出した際に携行していた食糧が尽きて久しい。ジャングルの強行軍も限界に近かった。ゲムバはまるで死んだかのよう。意を決したかつてのボーソレイユは、ペペをゲムバの監視に残し、沈黙したスワンプ・シティへと潜り込む。
そこかしこにカブトムシのようなギャズカーの集団がうかがわれる街路に、人間の姿はなかった。食糧にあたりをつけた後、ジョセフは無人と化した街を、路地づたいに探っていった。そして、かつては商業センターであった建物に達したとき、それを目撃する。
朽木のような奇怪な生命体を。それは、あるいはゲムバの話に出てきた第三の種族、アラザーなのか?
そして、その現われたと思われる部屋で、ジョセフはまだ生存していた人間たちを発見する。だが、彼らはジョセフの言葉に何の反応も示さなかった。謎の不協和音に曝されつづけた悟性は完全に破壊されたのか。時折、肉体が痙攣したかのように動き、周囲を見まわす。まるで、何かの訪れるのを待望しているかのように――。
この人々には、もはや何も望めない。援助も、共闘も。
失望とともに、ボーソレイユはジャングルの隠れ家へと歩きだした。
隠れ家にもどったジョセフを待っていたのは、思いもよらぬ知己との再会だった。
ハルト人イホ・トロトとグッキー!
錯乱したイルトのテレポートでラファイエットに墜落したふたりだったが、密林と湿地帯の猛獣たちも、衝動洗濯中のハルト人の前には何らの脅威ではなかったのだ。
しかし、タングル・フィールドの影響下でほとんど失神状態だったグッキーが、不意にテレポートで姿を消した。直前の様子から、商業センターの人々を連想したジョセフの助言にしたがい、ハルト人はスワンプ・シティにむかった。
イルトを捜す途上、ある部屋で、奇妙な球体を発見したハルト人は、芳香ガスを噴出するそれが“ニーザーの香網”と関係していると推測、ひとつを持ち帰ることにした。それからまもなく、商業センターの一室で発見したグッキーを、トロトは無事隠れ家へと連れかえった。
球体から噴出するガスは、たちどころにゲムバを覚醒させた。擬態を看破されたギャズカーは、ハルト人の尋問に、ただこう答えた。
「ボンドたち、ニーザー、ギャズカー、アラザー……。
この惑星にいるすべての存在が待っているのだ。
聖なるエロウンダーの到来と、彼らのもたらす希有なるヴィヴォクとを。
そのとき、このテストケースが成功か否か判明する」
一方、ラファイエットを距離をたもって周回する《リコ》では、アルコン人アトランがひとつの決断を下していた。
ボーソレイユの故郷に漂着した――と、アルコン人の確信する――友ふたりを救出するために、彼自身がタングル・フィールドに包まれた惑星に降下する、と!
搭載艇マイナー・グローブは全面的にシントロニクス操作に改装された。乗員すべてがタングル・スキャンに冒された場合にも、自動プログラムにそって帰還できる。
あるいは、フィールドは球殻状に惑星を包んでいるだけなのかも……。しかし、その仮説はやはり願望にすぎなかった。惑星圏に達したとき、アトラン以外のコマンドは全員パラライザーで行動不能にされ、反斥フィールド内に拘束された。
アトランだけは、かすかな不協和音以外の効果をすべてシャットアウトできた。付帯脳がフィルターとして機能したのだ。
デフレクター・スクリーンに隠れて降下するさなか、シントロニクスが惑星上での侵略者の活動を探知する。ジャングル周辺で、人類のものではない飛行艇が何かを捜索するような組織的移動をおこなっている。おそらく、トロトを追跡しているのだろう。
マイナー・グローブの針路をそちらへと向けたとき、タングラー追跡網に奇妙な動きがあらわれる。彼らは何らかの手段で、搭載艇を感知したらしかった。
アトランはモジュール・ロボット部隊に行動不能なコマンドと転送機を託して、マイナー・グローブを放棄することに決めた。搭載艇自体をおとりとして侵略者を撹乱するしか、活路は見出せない。
ニーザーの卵型艇が上空にむけて発砲を開始するのを目撃したハルト人は、《リコ》からの救援が訪れたことを知り、計算脳の算出したポジションで、ひそかに着陸していたアルコン人に再会する。
ただちに転送機での脱出を提案するアトランを、しかし、トロトは拒否するしかなかった。衝動洗濯を求める内なる衝動は、もはや止めがたいところまできていたのだ。
最終的に、アルコン人も同意した。ことここにいたっては、侵略者たちの言う“テストケース”が何を意図しているのかを探りだすことは、銀河系の運命に直結していた。
《リコ》の転送ステーションは騒然とした雰囲気に包まれた。
自動プログラムでは5日後に帰還するはずだった搭載艇が撃墜され、それからまもなく、転送機から意識不明の人々が吐き出されたのだ。11名のコマンド・メンバー、グッキー……そして、拘束された巨大なカブトムシが!
アトランの姿はなかった。彼のセルンだけが送り込まれ、そのシントロニクスを分析した科学チームは、彼らの“水晶王子”がハルト人とともに、侵略者たちの支配するスワンプ・シティへむかったことを知る。
忠実なアルコン人たちにも、やがて意識をとりもどしたグッキーにも、アトランを助けにいくことはできない。タングル・スキャンがそれを妨げるからだ。
そのころ、アトラン、イホ・トロト、それにジョセフとペペを加えた4人は、ボーソレイユの案内のもと、スワンプ・シティをめざしていた。ジョセフがアラザーを目撃したという場所にこそ、謎のテストケースの手がかりがあるはずだ。
非力な植民者ふたりを街外れに残し、シティ奥へと潜入したアルコン人とハルト人は、まずギャズカーたちの奇妙な活動を目撃する。未知のエネルギー線で、ある区画の植物の分子構造を変えているのだ。そして、播かれた種子からマングローブに似た植物が驚くべき速度で芽生え、都市の景観を塗り変えていく。
トロトと手分けしての調査を開始したアトランは、まもなく一群のラファイエットの人々に遭遇する。彼らは、ジョセフの話にあったように、おとなしくはしていなかった。せわしなく動きまわり、理解不可能な叫び声をあげる。
都市の変貌とともに、それが何を意味しているか――アルコン人はひとつのことを確信した。
エロウンダーとヴィヴォクの到来が近いのだ。
数光秒の距離でラファイエットを監視していた《リコ》では、それは現実に探知されていた。
20隻のハリネズミに護られるようにコレル星系に出現した未知の建造様式の船。
全長800メートルの長円形。ハリネズミ船の特徴である袋状の突起は確かに存在する。
だが、その船が他のものと異なっている一番の点は、その色彩だった。
黄金に輝く船。
グッキーに確認を求められたゲムバは嬉々として答えた。
「聖なる者4名が到着した。
共鳴世界の介護者が、ボンドに至高の幸福をもたらすのだ!」
一方、アトランは数体のアラザーを発見していた。2.5メートルの朽木を思わせる生命体は、「エボカッザの成功」を確信していると語っていた。そのかれらが不意に、見えないはずのアトランの方を見た。
付帯脳が警告する。タングル・スキャンは“異物の侵入”を排除するためにある。ボンド――共鳴体とならずに、おのが意識を維持している者は、それだけで異物。共鳴エンジニアたるアラザーは、アトランの存在を感知したのだ。
やはり同様の事実を確認したトロトと連絡をとりあいつつ、アトランはボンド――自我をなくしたラファイエットの人々――の間をかきわけて、逃げた。
黄金のエロウンダーの船がラファイエットへと降下していく。
グッキーはゲムバの思考にうずまく「ヴィヴォク」「エボカッザ」という認識から情報を得ようと試みたが、むなしかった。
聖なるエロウンダーのために、ボンドを守る――その使命から切り離されたギャズカーは、絶望のあまり悶死したのだ。
黄金の船は、ラファイエット唯一の宇宙港に着陸した。
駆けつけたアトランとトロトは、ハッチから巨大なコンテナが吐き出されるのをなすすべもなく見守っていた。蜂の巣の形をしたそれは、直径およそ10メートル。
ニーザーとギャズカーとに厳重に警護されて、最初のコンテナがシティへの行進をはじめた。共鳴体定数による探知を避けて、距離をおいてアトランとトロトもそれを追った。
フォームエネルギーからなるコンテナは、わずかに透明度があり、内部に蠢く何かが視認できた。ヴィヴォクが何であれ、それは……生きた物質だった。
幾百もあるコンテナのすべてを破壊はできない。
今後の行動をアルコン人が考えあぐねていたとき、ヴィヴォクを待ち受ける群集の中に、彼らの顔をみつけたのだ――ジョセフ・ブルサードとペペを。
脳髄に埋めこまれたチップのおかげでタングル・スキャンを感じないジョセフとちがい、生来スキャンに免疫であるらしいペペは、その暗示内容はおぼろげにわかっているらしかった。
「ボンドすべてに贈られる希有なる幸福」という概念に、好奇心をおさえきれないペペは、ジョセフをひきずるようにして、意志をなくした人々が何かを待ちうける場所にむかった。
そうして、ふたりは間近で見たのだ。
フォームエネルギーからなる蜂巣型コンテナが、不意に消滅した。
ありとあらゆる方向へ、灰色をした芋虫様の繭がこぼれ出た。
そして、繭がはじけ、ゼリー状の物体が――。
ヴィヴォク!
それは、タングル・スキャンによって意志を奪われた人々を呑み込んでいく。
ペペとジョセフは、嫌悪と恐怖に、絶叫した。
ミルク色のエネルギー泡が出現し、ヴィヴォクを害する異物2名を排除するよう、ギャズカーに命じた。銃口が掲げられ、戦士種族がふたりにむかって走り出した。
イホ・トロトが猛然と砲火を開いたのは、まさにそのときだった。衝動を抑える必要がなくなり、歓喜の笑声をあげるハルト人の照準は、先刻のエネルギー泡に合わせられていた。エネルギー泡がはじけ……黒い煙が四散した。
ニーザーとギャズカーたちの動きが、一瞬にして停止した。
トロトがエロウンダーを殺したことが、彼らには信じられなかったのだ。ジョセフとペペを救い出しながら、アトランは思った。
侵略者たちがパニックに陥った間隙をぬって、アルコン人たちはスワンプ・シティを脱出する。沼沢地に隠した転送機で《リコ》への送路を発生させながら、アトランは密林のかなた、侵略者に占拠された都市に思いをはせた。
ボンド……意志をうばわれた人々。
錯綜するタングラーの概念が何を意味するのか、アルコン人はあの恐怖の光景から、ようやく理解した。
レゾナンス……ヴィヴォク。そして、エボカッザ。
ヴィヴォクは孵化するために“共鳴体”を必要とする。知的生命体を。
ギャラクティカーは“餌”として選ばれたのだ!
ラファイエットは手遅れだった。おそらく、残る22の惑星でも。
しかし、次は……?
答えを見いだせぬまま、アルコン人は非物質化フィールドへと踏みこんだ。