元ATLAN作家の回顧録
ファルク=インゴ・クレー(Falk-Ingo Klee)は1946年ボーフム生まれ。ヴルチェクあたりと同年代にあたる。80年代に主としてATLANシリーズのレギュラー作家として1割前後を執筆していた。旧ATLANヘフトが850話で“完結”した後、彼がローダン本篇に参加する機会はなかったのだが、近年になって当時の内幕を知る人物として公式サイトに度々コラムを寄稿している。
今回掲載された“Das Triumvirat der Expokraten”は彼が参加していた頃のATLANヘフト草案作家についてのもの。
Triumviratは古代ローマの「三頭支配者」であり、ローダンではカルスアル同盟の寡頭制としても使用されている。一方のExpokratenは草案作家(Exposé-Autor)とコスモクラートの合成語で、ローダンの草案がヴルチェク+マールの合議制になったのよりさらに後、技術草案やブレーンを含めて草案工房(Expose-Factory)と呼ばれる時期を経て、だいたいフェルトホフとクラウス・フリックが主導権を握った時代から使われるようになった。
いずれにせよ旧ATLANヘフトが刊行されていた時代にはなかった言葉だが、ここでは基本、当時のATLANをウィリアム・フォルツから引き継いだマリアンネ・シドー、ペーター・グリーゼ、H・G・エーヴェルスを指すと思えばよかろう。
個人的に興味深かったのは、原稿には作者の考案したタイトル×3とタイトル下のあおり文句×3を添付され、当時の原稿審査係(Lektor……編者を、往年のファンダムでは慣習的にこう訳していた)であるシェルヴォカートが1点を選ぶか、ピンとこない場合は自分で新たにひねり出す……という仕組みが明記されていたこと。
もう前世紀の話だと思うが、1500話台のとある草案のコピーを見る機会があって、そこに3つのタイトル案が列記されていたのは知っていたが、オフィシャルに書かれたのはこれが最初じゃなかろうか。知らんけど(ぁ
あとは、Terra-Astraの一部でも草案制は採用されていた、とか。
Terra-Astraは70年代から80年代にかけて、週刊・後に隔週でメーヴィヒ社が刊行していたSFヘフト叢書。全タイトルがペリペに掲載されていることにいまさらながら気がついたり。ヴルチェクの『銀河の奇蹟』とか、クナイフェルの『宇宙船オライオン』とか、翻訳モノとしてスタトレやダーコーヴァとかデュマレスト、銀河辺境なんかも収録されていた。日本でいう銀背あたりに相当するのかなあ。
細かく調べていけば、それ以外に、複数作家で執筆されたミニシリーズがあったりするのだろう。それはそれで楽しそうだが。
あと笑ったのは、作家間の連携のため、草案は直接担当しない全作家へも送付され、また書きあがった原稿を次話担当の作家に送付する決まりになっていたのだが、何分インターネットなど普及していない当時、フロリダ在住のマールへ送る便は高額で、後年会った際に「ちゃんと送ってきたの、キミだけだったよ……」なんて言われたとか(笑)
まあ、今は昔。とっぴんぱらりのぷう(違
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